espliaのちょっとだけ時代遅れ。

生むは雑感、生きるは過去、ちょっと遅れた感想中心ブログ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
*
スポンサー広告 ○ Trackback:- ● Comment:-○

東方SS 『東方守命魂』 第二章 「喪失の同胞たち」前編(改訂版)

前回に続き、この度は第二章「前編」(改訂版)を掲載させていただきました。


前記事同様、「東方project」について全く知識の無い方、出来の悪い小説に嫌悪感を覚える方。及び、単純に長文を読みたくない方も、続きはクリックされない方がよろしいかと存じます。



また、今作は締め切りに間に合わなかったため急造した(仮)の作品に、「本来挿入するべきであった文章を追加した」改訂版、もしくは「完全版」というものでありますので、前回の(仮)を読んでいただいた方には、本文中の「以下より追記」という部分まで読み飛ばしていただければ幸いです。


ctrl+Fで「以下より追記」を検索していただくとわかりやすいと思われます。




そこまで注意を受けて、なお読もうとするツワモノの貴方は、「続きを読む」をクリックして続きを出してください。



追記:あとがきを追加しました。(6月18日0時)



ちなみに以前の内容を忘れてしまったかたはこちら (私の筆の遅さが全ての原因でございますが)


『東方守命魂』プロローグ


東方SS 『東方守命魂』 第一章 「一滴の水」前編


東方SS 『東方守命魂』 第一章 「一滴の水」後編


東方SS 『東方守命魂』 第二章 「喪失の同胞たち」前編(仮)




からどうぞ。




※する人がいないことは十分わかっておりますが、無断での転載、及びコピー&ペーストはご自重ください。



以下より本編









 ◆





智明が死というものを実感したのは、小学生の時だった。

実にありふれた話である。体育の授業中、冷や汗に頬を塗らした担任から呼び出された智明は、そこで母方の祖母が病床で亡くなったことを知らされたのだ。

御年89歳。十分に大往生と言える生き様であった。
また昏睡状態に陥ってから息を引き取るまで、祖母は苦痛に顔を歪めることなく、生涯連れ添った祖父の暖かな笑顔に見送られ、安らかに逝ったとも聞いた。



祖母はどちらと言えば厳格な人であった。故、それなりに名のある縫い物塾を経営しており、それが元で父との間に老舗の世継問題で険悪になったのだという。
多分に漏れず、我が両親との折り合いは結果すこぶる悪く、必然、我が家が大手を振って彼女の元に帰省する機会は少なかった。

それでも、そのしわくちゃの手から次々と作品を織り出し、「華」を咲かせていくその様に魅入られた智明は、母親もかくやという勢いで祖母に懐いていた。
対する祖母はこそ、そんなべったりな孫相手にも緩んだ顔をひと時すら見せなかったが、いざ智明が小学校に上がる時分、大量の筆記用具とランドセル、そしてとても小学生に宛てたとは思えない多額の入学祝が贈られてきたことを知り、己がどれだけ祖母に愛されていたのか、また彼女がどれほど感情を顔に出すのが苦手であったのかを知って、顔が熱くなったものだった。


昔好んで読んでいた漫画にこんなシーンがあった。

両親の死の唐突さに、葬式が行われている最中に泣くことのできなかった息子が、ふと何気ない日常の中で大切な人がいなくなった事実に気付き、涙を零すというもの。


その漫画自体、とても共感のできる等身大の物語であったし、「リアリティ」というものをウリとした作風であったから、智明自身は漠然と、己もそういう行動を取るのだと思っていた。


しかし、やっぱり現実というのは格好をつけさせてくれないものであって・・・・・・。


最初に出たのは鼻水であった。
次点で涙。
最後に涎。

競艇さながらのデッドヒート。

顔面から液体という液体を流し、ついで泣くことに体力を使い果たして汗まみれ。
塩害とさえ思われるほどに全身を塩気で満たした、――思春期まっさかりの男10歳、情けないばかりの泣き様であった。

涙が枯れるまで泣き、そして訪れる脱水症状。
現実って嫌なものだ。

祖母が火葬され、天に上っていく姿を、脱水症状からくる熱に浮かされたまま一人旧家の縁側で伏せったまま。見送ることになった智明は、おのれの愚鈍さを心の底から恨んだものだった。


そして同時に、考えたこともある。


もしも、この世が智明の都合通りにいってくれるものだとしたら。

自分はきっと、何があろうとも己の死を間近で見送ってくれる。そしてそれまでの間もずっと傍に居てくれる誰かを、望む。


願わくば、同じ揺り篭から、遠く、同じ墓場にまで到りますように――。


 







第二章 「喪失の同胞達」
 
 
 


 



死活問題、であった。

「・・・・・・」


軽く、荒い紙面の質感を感じる。
そして、それより更に乾ききってしまったような感覚のする手で「文々。新聞」と銘打たれた髪束を丁寧に畳んで傍らに置き、若い男――現在療養中、ついで記憶喪失、さらに言うと元水死体になりかけた過去を持つ――和泉智明は、すっかり乾ききった傷口の包帯を躊躇無くほどいた。
以前のように、血糊のせいで張り付いた布を引き剥がす苦悶に耐えることも無く、あっさりとそれが姿をあらわす。

腿(もも)の付け根付近。
そこに傷があったとわかる肉の丘陵には、ところどころ不自然な盛り上がりと歯茎に似たピンクの色彩が垣間見えるが、今のところ酷い出血も無く、内部が膿んでいる様子も無く、それゆえ感染症から患部に熱を持っている、というようなことも無いようだった。

もちろんこれが自然治癒力に拠ったものではないことは経験上明らかで、この状態に持ち込めむために掛けられた「彼女」の労力、献身が、全てを決定付けていた。

また実際、何度か外の古井戸で水を汲んでは戻ってくる作業を繰り返しに対しても、実質的な後遺症が感じられるようなことはなく、治癒は万事滞りなく進められている、といっても過言ではない。

ただ問題は、

「・・・・・・ぅ」

自身の体重。ここに来て大分落ちたとはいえ、それでも裕に50キロを越える上半身を支えるには、この足ではまだ力不足であることだった。


水を汲みに行く。たったそれだけに約一時間。その疲労の回復に、追加で2時間。

一度だけ、水がなみなみと注がれた桶を、間違って倒してしまった時分、男伊達らに泣き崩れる寸前まで精神的に追いやられかけたこともあった。

だが、

「体は、まだ大丈夫そうだ、な・・・・・・」

水を飲むだけでいっぱいいっぱいの生活も早三日目を迎えた現在であるが、精神的な辛みはあるものの、思ったほど体の衰弱は進んでいないらしい。
立とうと思えば立てる。手を動かそうと思えば動かすことができる。
それはつまり健全者が健全者である最低条件は満たされているのと同義である。

人は水だけで一週間は生きられる。その知識がどこまで現実的かを考察するのはおいておくにしても、このまま体力を温存することだけに注力すれば、たしかに数日は生き長らえることができそうだった。

ゆえに、智明は思う。

――自分の死活問題は、まだ先のことだ。


しかし、だ。
このまま体力を温存するということは、今現在動けるにも関わらず、このまま「動かない」という選択をすることに他ならない。

人である以上、なんにしても遠からず、健全者としての最低条件に支障が訪れる日が来ることを鑑みれば、すでに問題は、来るべき衰弱を先延ばしにすることに主眼を置くのか、それとも動けるうちに出来うる行動を起こすことに主眼の置くのか、そのことに、置き換わっていた。


「・・・・・・」

考えてみれば悩むまでもないことである。

行儀の悪さには目を瞑り、ズリズリと、体を這わせることで部屋の隅にまでなんとか移動し、そして智明はそこに置かれた籠の中身、――丁寧に繕われた己の服を手に取った。
縁起は悪いが、似合いの一張羅である。


これは纏う目的は一つ。
「彼女」が今どこにいるのか。それを探ること。


彼の視線先、薄い板切れを透り越え、己の意思では決して渡ることはなかったであろう、「門出」の橋が横たわっている。







――朝には顔を見せに戻ってくるから、それまでゆっくり休みなさい。


あの夜、焦り気味にそう残した彼女の言葉を智明は今でも覚えている。

もちろん言葉の中に含まれているのは単なる「口約」の延長線に過ぎないもので、それが破られたからといって何がしの強制力も働きはしないだろう。
それでも智明は、彼女の言った「今朝」が随分前に遠のいてしまった上でもまだ、彼女の言葉を戯言として片付けるつもりが毛頭なかった。


ただ頭の隅で思うことは思うのだ。

これが高校時代の級友の言葉だったらどうだろう、と。

――さっさと諦めてるだろうな。

断じて誓うが、高校時代に付き合いの深かった友人は皆、基本的には良識のある者達ばかりで、悪意で嘘を吐かれたことはもとより、からかいを受けることすらほとんどなかった。
いじめが横行し、自殺率が跳ね上がる暗沌の世にして思えば、これ以上ない恵まれた友人関係であった。

漫画でよくある、恋愛関係でギクシャクしたり、川原で殴りあいをしたりするような「濃い」イベントとこそ無縁だったが、同じ本を読んで感想を言い合ったり、帰りに道で買い食いをしたり、部活動に励んだり、何気ない日常を楽しく彩ってくれた。

しかし、彼等は友人であって、やっぱり「人間」で。人間である以上、どうしても口約を守れない時が出来てしまうことがある。

何時にどこどこで。
何時までに必ず。
絶対に行くから。

会話の中で繰り返される約定のセリフ。たしかにそれぞれにある程度の「重み」はあるのだろう。

しかし、それらを頑として信じる。という態度は、結果的に嘘を吐かざるを得なくなった人間に、更なる精神的な攻撃を加えることに似ていると智明は思っていた。

だからこそ。

――二時間待たされたら、約束はなかったことに!

お詫びには購買で売っているパンか、自販機のジュース一本。もしくは奮発して近場のラーメン。


それで手打ち。お互い後腐れなく関係を続けられる実にクリーンな決まりごとが智明達にはあった。
これで待つほうも、待たされるほうも、最低限の関係は保っていける訳だ。
無論見方を変えれば、それは深刻な友人関係からの「逃げ」なのかもしれないが。それは如何ともし難い評価である。


話を戻そう。

つまり現状、「顔を見せる」といったパルスィの言葉を信じつづけ、あまつさえ「捜索に乗り出す」などといった行動を起こすことは、ほかならぬ彼女自身への信頼に託(かこつ)け、精神面における攻撃とさえ直結する愚行であるといえるだろう。
無論それは智明の望むべくことではない。

しかし。彼女の今までの行動、言動、表情を思い出すにあたり、感情と論理をない交ぜにしたような、漠然とした危機感が呼び起こす焦燥感が、それに比べて日増しに大きくなっていくことを自覚してしまったのである。



智明は、夕べまで脳裏に反芻していた、その「焦燥感」を改めて整理するため、新しく取り出した洗いざらしの包帯を患部に巻き直しながら、思考の海へと没した。


――もしもパルスィさんが、顔を見せるという約束を破らなくちゃいけない状況に遭遇した場合はどういう反応を示すだろうか。

彼女の性格柄、「まぁ、いっか」と、問題を放置することはまず無いと見て問題ないだろう。己の言えた義理ではないが、パルスィほどいろいろと考え、二の手、三の手先を予想して行動している人もいまい。人間として理想的なあり方だとは思うが、時にそのあまりに「考えすぎな傾向」が息苦しそうに見えるときもあるくらいだった。

――その前提で言うと、パルスィさんがそもそも二手、三手先にも、「読めなかった」不測の事態が起きていることになる、のか・・・・・・?

それはそう。例えば隕石が頭上に落ちてくるような。例えば交通事故のような。例えば偶然通り魔に襲われ――。

――待て、待て、妄想のしすぎだろう・・・・・・。


つまるところ、智明の焦燥感は常にこの妄想に到る。


もちろん、実は智明の目は節穴で「まぁ、いっか」とあっさりパルスィに投げ捨てられてしまった可能性も、考えれば思い当たるはずのイベントを彼女自身ド忘れしていて、予測の二手、三手にそもそも含まれなかった出来事が起きた可能性もある。
突拍子も無い考えだが、こういう状況にあえて智明を追い込んでいるという可能性も微量存在する。

それは例えば、智明を餓死させようとしている、とか。

――まぁ、これは見当違いだな。

いい忘れたが、家の食料の大半を保存する貯蔵庫、そして氷室には簡易ながらも戸と錠が付けられているようだったが、こうして飲料水の確保が許されていることを思えば少し温い。
更に言えば、家の前ですら死体があることを嫌がっていたそぶり、何より今までの献身的な治療。それらの要素を複合して結論を導けば、智明を殺害しようという意図はないことは明白である。

そしてそれゆえにシンプルな動機は淘汰されていき、脳裏に上り詰めるのは突拍子のない憶測ばかりに埋められていく。

――それに。

智明は、尖ったガラスが無数散らばった床を歩くような面持ちで、そっと床のとある一点に視線を注いだ。
そこにあったのは、つい今しがた智明が読み終えた文字の羅列された紙束。――新聞だった。

『文々。新聞』(ブンブン。シンブン・・・・・・?)と銘打たれたそれは、タイプライターを用いて印字しているのか、記事のほとんどは平仮名で、「言」「行」「思」「述」などの良く使うものだけが漢字変換された見難いものだ。

なぜこんなものが家にあるのかといえば、昨日、玄関先に新聞が束になって落ちていたのを発見したからである。
本来ならば契約して、料金を払って初めて読むことのできるものだろうが、この文明に忘れ去られたような生活の中、初めてと言うべき馴染みの深い情報媒体に興味をそそられ、やや罪悪感を覚えながらも喜々として一部だけ抜き取らせてもらったのだ。

しかしそこに書かれた一面記事を見た瞬間、喜々が恐々にすげ変わった。


『ヒンパツするカイ死』


頻発する怪死。そう読み解ける文章が、デカデカと紙面を覆っていたのである。

もちろん、智明だって成人に近い男だ。
「怪死」、「通り魔」、「強盗」、「殺人」、「不倫」。それら物騒極まりない様々なキーワードを新聞社や雑誌が好んで使うことを知っているし、正直に言えば既に「飽きた」題材であるともいえる。今更それらの単語がどれほど大きく新聞を彩ろうとそれほど驚きはしない。

問題は、刊行された場所が幻想郷であり。殺されたのが人間ではない。
ということにある。

新聞の要点をまとめれば、こうなるだろうか。


――昨今、「ナガレ」と呼ばれる生活様式が確立していない新参の妖怪が複数名、自死に見せかけられて他殺されていた。また後日、「ヤマ(山、だろうか?)」に所属する妖怪が一名、刺傷と思しき傷を負わされ、現在重傷の身となっている。

まるで、現日本で見られるような生地の内容だ、と思う。妙な具体性を匂わすものであった。

警察という機構がそもそもこの世界に存在するのかはわからないが、この記事を見る限り犯人は未だ捕まってはいないようだった。また、剣呑ながらも智明にとっては、日常よく目にする「殺人」という単語に、これほど騒いでいる所見ると、起こった事件がなみなみならぬ一大事であることが伺えた。

既にわかっているとは思うが、つまるところ。これが智明の行動を決定した動機の二つ目である。もちろん、これを鵜呑みにして騒ぎ立てる気はさらさらない。


一見してか細い子女の姿とはいえ、言わずもがな。パルスィは妖怪であり、おまけに明晰である。
もしも偶然、この新聞の犯人と遭遇する事態となったとして、それでも返り討ちにしてしまう可能性のほうがはるかに高かいだろうなと、付き合いの短い智明でさえ思っているのだ。
希望込みで約99%。智明という「大怪我人」の助けが必要な状況に陥ることはないと言えるだろう。


それでも、あの夜の約束を違えた上での今回の失踪。その延長戦上にある今という現況。無関係だと顔を背けるには、やや勇気のいるものである。

それに、

――聞けばどんな荒唐無稽なことだろうと、現実に起きてしまえば全部終わりだしな。

隕石が落ちてくる確率とはさすがに言うまい。それを危惧して外出を危惧するような人間は、社会にはまず居られないからだ。
しかし事故に遭う確率は? 不治の病を煩う可能性は?
結局のところ、この世の確率論は、「起こる」か「起こらない」かの二択でしかないのかもしれない。

「アンタこんな場所で何やってんの?」。道端で偶然彼女を見つけ、こんなセリフで呆れてくれれば「吉」だ。最悪の場合は、見つからずとも安否の確認さえ出来れば構わない。それ以外の顛末は、まぁ、どうでもいいか。



万が一傷口が開いたときのため、ガーゼを通常より多くに挟み、きつく巻き終えた包帯がズレないことを確認。

その上に、グイっと、洗いざらしのジーンズを腰元に引っ張り挙げ、パルスィから譲り受けた部屋着兼用の着物を脱ぐ。そしてそれを畳んでからワイシャツを素肌に着込み、最後に上着を羽織れば完成だ。

「よし」

外の世界からやってきた「ただの男」が、外の世界からやってきた「変な格好の男」へ、偉大なる大変身であった。

この服を選んだのは、当然動き易いという理由もあるが、つまるところ今回智明が重要視したのは「注目を集める」、ということ。
この地底という世界がどこまでの広がりを持つのか、もちろん智明にはわからない。
しかし闇雲に歩き回ってパルスィと出会う確立に関しては、高くはないことは明白だろう。

なればこそ、自然と引き合う彼女との共通の認識。もしくはそれに順ずる強烈な情報を、自身を媒介し、電波として街中に飛ばすが効率的。
必要なのは智明と彼女を結びつける礎となる、とてもとても奇抜で珍妙な「広告塔」だ。

もちろん。それが仇となって、何らかのトラブルに巻き込まれてしまう可能性も十分ありえるのだろうが、

――どのみち今回が最後の足掻きだしなぁ・・・・・・。

今までの経験からいって、智明の足は無理に数キロも歩けば使い物にならなくなる。

よしんば帰り道に余力を割いたとしても、次回の遠征を目論めるほどの体力を回復できるとも思えない。奇跡でも起きない限りはこれが最初で最後の異世界「観光」。


 「行くか」

あらかじめ用意しておいた、入れ違いがないようにするための書置きをパルスィの鏡台に置いておく。
それから痛み止めとして用意された、純白の粉薬をオブラートから煽り、湯のみ一杯分、残された最後の水で喉に押し込んだ。

玄関口の横、逆さまに置かれた、安物の運動靴の靴紐を締め直し、立ち上がる。


今まではパルスィという保護者の元、揺り篭のような心地よさを与えてくれた小屋も、下手をすればこれで見納め。

実を言うとせめて最後に掃除ぐらいはしておきたかったのだが、そこに体力を使ってしまうと生存率がぐっと下がるので自粛する。

なんとなく南無~、と両手を合わせ、そしてやっぱりなんとなく、お辞儀までしてみる。


今までお世話になりました。


自分でも驚くくらいに軽く引き戸を開け放つと、途端、最近ようやく嗅ぎ慣れて来た何かを焼き焦がすような甘い臭いの風が強く鼻先を掠めた。
地獄に吹き荒む、凝った外気はどことなく、小さい頃、某と眺めたあの火葬場の空気を思わせた。

頭上。穴から漏れる光の色は、完全な白。
そしてタイムリミットは、これがオレンジ色に変わる時分。

――引き返すタイミングを誤らないようにしよう。

智明とてこんな地理も名前もよくわからない場所で蛆に齧られる趣味はない。たった一つだけ用意した指針を頼りに、無理だと別ればすぐにでも引き返す腹積もりであった。

「いってきます」


物騒極まりない未知への旅路。その一歩。
意外に軽く。そして予想以上に、痛かった、







正確に言うと、たどり着いた町は予想以上に文化的ではあった。

小屋を出てから数刻は経ったであろう現在。

パルスィが日々監視しているという、多重の橋を重ねあわせた形状をもった「門出橋」を渡り、その後1キロほど進んだ後、チラホラと垣間見える朽ち果てた廃屋を辿るようにして歩いた末たどり着き、あまり足の痛みを感じることなく、その全容を智明の前に曝していた。

町の規模そのものは広大な敷地面積を感じさせるも通りの幅と数から推測されるが、実際に賑わっているのは、橋から通じる大路一本と、左右対称の小路二本が関の山、といったところだろうか。
どの建造物も木材を基調とした古めかしいものばかりだが、どこから電気を引いているのか、意外にも軒先にぶら下がった提灯の源には電灯が鎮座している。

商いの中心は、酒屋と甘味所。次点で食事所、といったところだろう。工芸品や土産ものを扱う店もあるにはあったが、訪れる大半の人間が地元民であるのか、その勢いは幾分下火に見えた。

相変わらず漂う、甘ったるい臭いの風と混ざって感じられるのは、硫黄に似た臭い。
それがあちこちに漂っていることや、廃屋を適当に改装しているのか、古めかしい家屋を大雑把に表現して「半分に叩き割った」ような店舗が居並び、そこあら聞こえる控えめながらも活気のある喧騒が聞こえることもそう。
唯一、大路のはるか彼方。見える大使館のような門構えの巨大な建造物だけは除き、ま高校生の頃、修学旅行で出かけた「温泉街」のような暖かさがこの町に重なっているように智明には見えた。

高校に通っていた頃。
それが今現在から幾年前のことを指しているのかはわからないが、この町は智明の失った記憶の先、なつかしい臭いのする何かを刺激しているようであった。

しかし、生じた心の温かみは、感覚を凝らせば途端に消えてしまう、儚いものでもあった。

ジロリ、と。

行けど止まれど。己の背や側面に注がれる決して愉快とはいえない、強烈な視線に、智明は知らず知らず己の二の腕を擦っていた。
平平凡凡。虐げられず、虐げず。ぬくぬくと温室で育った身ながらも、これほどまでの質と量をもった目線で射抜かれ続ければ、精神に穴が空こうというもの。

注がれる視線そのものも、尊敬や憧憬は度外視しても「どれどれ」。そんな風に興味深げに眺める気さくなものでもあるわけもなく、まるでカマキリの中に放り込まれたバッタを見るような、奇異と居心地の悪さを与える意志ばかりを寄越してくる。

なんでお前みたいなのがここにいるんだ?

そんな無言の訴えかけに。

――こっちが聞きたいくらいだ。

五体があり、頭髪があり、意志がある。
しかし何かが足りないのだろう。こちらを見る町民は、造詣として対して智明と変わるわけでもあるまいに。そこに人間強弱の関係がしっかり根付いた、背筋の寒くなる思想が、背後に揺らいでいる。

凄まじく帰りたい。
しかし帰る場所はここにはなく。また届きもしない。

「・・・・・・」

コツ、コツ。と。
歩行の介助のため、パルスィに内緒で分解した鋤(すき)の柄を地面について杖代わりとし、一歩一歩堅実に踏み込む。
人々(かどうかは預かり知らない)合間を縫い進むたびに磨耗する精神を、古めかしいながらも味のある町並み、そしてそこに移した興味で回復しつつ。智明は歩く。

唯一の救いは、智明という「奇異」なものに対し、彼等が人間と同じような行動をとってくれている、ということだろうか。

奇妙な奴は、傍観するに限る。関わるなど、言語道断。

実に人間らしい処世術だと思う。

居心地が悪い一方、気味悪そうに眺められるだけで本当によかった。
よそ者と見たら即「いただきます」。そうならないのは純粋にありがたい。齧って食べられるのか、丸呑みか。そんな選択をするまえに発狂する自信がある。


地底に住む妖怪たちは、頭上。地上に済む者達から追い出された忌むべき存在である。


パルスィは一言、そう己を含めた地底の住人をそう評したが、ほかならぬ「彼女自身の人間性」を鑑みればあながちそれを鵜呑みにしなくても良いかもしれない。
最低限の倫理。最低限の規範。それが遵守されている限り、見目はともかくとして、社会に生きる智明という人類と変わることなど無い。

まぁ、もちろん。そんな理屈で背中を伝うこの冷や汗が止まることもないのだが。

「・・・・・・ふぅ」

とはいえ、いつまでも視線に気を取られていては精神衛生の面で良くはない。

あくまで彼等の視線に気がつかないフリをしつつ、かつ脅威と思われないよう、なるべく人畜無害を装った恍け顔のまま、智明はあたりにさっと視線を這わせた。

――なるほど。確かにここは「妖怪」の町だ。

前にパルスィも、旧都が妖怪の都であると一目でわかるだろう。という趣旨の話をしていたが、納得の光景である。

我が物顔で四辻を歩く奇怪な生物の集団。
四つんばいで某悪霊同様、ブリッジの姿勢で全速力する老婆。

・・・・・・のような、わかりやすい光景こそないものの。(当り前だ)あちらこちらに見える道を歩く人影の大半は、その造詣の一部が人間らしからぬ装いをしていることを白日のもとに曝していた。

例えば。
今現在、珍しく智明に敵意を向けずに通りすぎていった女性と思しき二人組みは、どちらも老いから来るものとは別種の見たことも無いほど艶やかな白と銀の髪を揺らし、談笑していたし、ふと気になって頭上を見上げてみた時、ナスに似た紫色の傘にしがみ付いた少女が路地の活気に当てられたようにフラフラと中空を滑空しているのを、こうして目撃してしまっている。

「・・・・・・」

ついでに言えば、見たくもない。数こそ多くは無いが、地底の闇を削る提灯の灯りが揺れる最中、人魂と思しき火の玉が浮遊していたりもしていた。

――「出ればわかる」ってパルスィさんは言ってたけど。まさにそのとおりだたなぁ・・・・・・。一応皆人間らしい体なんだけど、・・・・・・やっぱり奇みょ、じゃなくて、奇抜な外見が多い、かな。

しかし一方。
虎柄のパンツを履いた鬼、包丁を研いでいる老婆、水辺で頭頂の皿を潤す爬虫類人間のような、外界に溢れる典型的な妖怪はむしろ見当たらない。その事実には新鮮な驚きを感じた。

なれば、思い込みで仮装した人間の集団、にも見えないことも、・・・・・・・無いかも、しれない。
「かも」で30%。「しれない」で-20%。
思い込みで頑張ろうとしたが、結果的に信憑率10%未満に落ち着いた。

――やっぱり違和感がある、よな。

一言で言うならば、その正体は「思想」、だろうか。
それとも具体的に「存在の土台」というべきだろうか。

道の端、威勢の良い声で客を呼ぶ甘味所に酒屋。
黄ばんだ紙面を覗かせ、大量の本を並べるだけ並べた本屋も。
数件先、古めかしい調度を前面に展開した骨董店も。

それらは全て外の世界でも見られるもので。体系も外観もよく似ている。しかしその根本部分に違和感があった。

――営業時間が各店随分マチマチだな。それに同じ商品でも値段設定がかなり違う。

こと日本でいうならば、基本的に店は9時から営業、10時で閉店が社会の枠組みに沿った営業を心がけているところがほとんどである(24時間営業が増えてきたのもこの枠組みの考え方なのかもしれない)。また独占禁止法を遵守するため、ある程度物価と販売価格には、他店との共通性があったりもする。
そんな馴染み深い世俗要素が、ここには全く無いのだ。

それは恐らく、

――営業時間も、販売価格も、全部個人個人の都合と思惑で取り決めているわけか。

昼間に酒を飲む。

現代社会では「悪し」と定められた定型文もなんのその、通りの向こうに見える居酒屋の内部は阿鼻叫喚。泥酔したと思われる女性が、片手に持った洗い桶に、真剣に語りかけている。
ついで真横、適当に目を逸らせば、日中、稼ぎどきだというのに、準備中の張り紙が出された定食屋までもが見える。

『風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みだ。』

気ままという標語にあたる、童謡の一節。そこに記された「法則」さえ彼等は嫌っているのかもしれないな、と。そう智明は思った。

思い出されるのはパルスィの言葉だ。


 「妖怪は何によって生きているのか。答えは単純。――その「存在理由」よ」


つまりこの光景を形作っている基本律は、食物や睡眠を主点として捉えるのではなく、「己の存在意義」のみに比重の置かれた、彼等のための、彼等だけの法則。

自由気まま。妖怪という種族に相応しい生活様式の片鱗がこの町の全容なのかもしれない。

己のために稼ぎ。己のために食し。己が己であることを偽らず。
そして恐らくは、――そういった主張果てに、命を奪い合うのだろう。

我を貫き。魂において嘘、一片も居らず。

そのプロパガンダが美しいものなのか。果してうらやむべきものなのか。智明に区別する術はない。

想像できるのは、例えば美術の授業中、いきなりリコーダーで演奏を始める人間は、少なくともまともではない。ということだろうか。

そんな馬鹿げた例え話が、いつか読んだ本に影響されて浮かび上がり。「個性的」な生き方というものは、自分には無理だ、という結論が生まれ、消えた。


しかし、そんな違和感を孕んだ「旧都」にして、なお智明の目にも懐かしく映るのは。

――もしかしたら地上か、あるいは「外」かにある、人の町を模倣しているから、なのかな。

独自の考えに基づいたにしては、どこか恣意を感じる町並みであることが、そう思った原因である。

そしてもし、その想像が当っているのだとすれば。ここで生活するに当って彼等は、人型であることに最低限の嗜みと矜持を持ち合わせ、妖怪でありながらも人の姿に固執していると見ることもできそうである。

足の疲労がそろそろ苦痛と呼べる段階にまで上り詰めてきたことを感じながら、しかし勤めてそちらに意識を割かないよう。智明は杖を突き。大路をゆらゆらと踏みしめていく。


背中から伝う冷や汗を拭いながら、智明は暇つぶしをするぐらいの気持ちで当て推量を展開した。

議題は、どうして妖怪たちは人型に体に固執しているのか。

取っ掛かりとなるのは、人とは根本的な思想を持つ妖怪の作った、人間の臭いのする町、つまりこの場所に集約されているように感じられた。


――もしも、パルスィさんが「変性種」って呼んでいた、元人間の妖怪たちによってここが運営されているだとしたら、どうだろう。


彼らがもしも、変容前。人間であった頃の娯楽や食物から脱却することはできず、人の生活をまるまる忠実に模した町を作り出そうとし、結果としてこの町の商いに従事しているのだとすれば。重要なのは、それを100%享受できる環境作りへの着手である。

となれば娯楽やサビースを提供されるまま、最大限の振幅を以って楽しむには、人の「ナリ」と等身大の「感覚」がやはり最低限の条件として突きつけられるのかもしれない。

なるべく長く人生を楽しみたいなら、子供に戻ってしまえばいい。

いつか誰かが、冗談でそんなことを言っていたが、その理論が現実にまかり通ってしまった世界が「此処」だということにもなるのだろうか。

また、

――人型の妖怪がもともと此処に多いんじゃなくて、娯楽を楽しむためだけに人型の妖怪が集まってきたのかもな。


曖昧な定義から生まれた曖昧な結論ではあるが。そうだとすれば万が一の時、相手のよっては交渉の余地くらいは用意されるのかもしれないと、智明は内心で算段を立てる。

「環境が人を形作る」、とまで明言してしまうと嘘臭いが、人に近づく努力を惜しまない彼等に、人間らしい倫理や正義感。まるっと含めた人の善性というものが育まれている可能性は十分にある。

――全裸で土下座すれば命くらいは勘弁してくれないかなぁ・・・・・・。

ただその一方で、不味いと想う事もあった。

人間の町を模す、妖怪が統べる町。彼らが、なぜそんな「既に存在するもの」を地下などという不便な場所に改めて用意する事態に陥ったのか、その理由。
見目には活気ある町並み。活気ある町民。しかしその土台に埋まる動機の源泉は、如何ばかりかほの暗いものが匂うように、智明は感じていた。

――人の作った町で、もしも彼らが何の問題も無く気ままに暮らせていたら、こんな場所に町を作る必要なんかない。

結論を言えば、この一文に集約される。

ここには人々に迫害されても尚、人の生活を捨てきれなかった妖怪たちが、集っている可能性が高いことになる。
なればこそ。今にして、勝手に一人で出歩くな、と釘をパルスィさんの言がどれほど正しいことかがわかるというのも皮肉なものだ。
そしてそれと同時。ますます彼女が、智明を放置して失踪する理由が薄まっていく。

ふん。と一息。
歩く力に、更に意志を混め、徐々に痛みの鼓動を更に激しくする足に精神で鞭を打った。
門出橋から体感距離で、凡そ3キロくらいは歩いてきたように思うが、実際のところはよくわからない。かつての生活圏での基準ならば、電信柱や土地感でおおまかな距離は把握できたが、今は出来そうに無い。
こうした風情のある町並みも、こう木造の廃屋ばかりが建ち並んでいると、常に同じ場所を歩いているような錯覚がしてしまうのも、その一環だろうか。単純に割いている意識の割合が低いだけなのかもしれないが。

とはいえ、やる気だけは少しだけ増した。

気力が漲る、なんて青臭い動機には冷や汗もでるが。出発時には取り返しのつかない上に当ても無い遊行、と鼻で笑いたくもなった今の行動が、あながち的外れではないと思い直せたことが、やはり大きい。

しかしいつまでも気力で踏ん張れるほど、外傷というものは言わずもがな、甘くない。
骨折が気力で直れば、大会前に涙を飲む若者もスポーツ選手もおらず。リハビリで苦悶する患者もいない。限界が来る距離。そして体力と時間の比率には十全に注意しなければならない。

一キロ歩くのに30分。それから徐々に10分ずつ遅延が発生するとして、三キロで時間。
昼真っ只中であっても、地下という環境では、街頭代わりにぶら下がった提灯の灯りだけが頼りである。
かすかに遠く、大路の果て。大きな洋館の外壁に大きな時計が埋まっているように見えるが、短針と長針の位置は、ここからはっきりわからない。

――にしても、夏祭りみたいだな。

提灯、というものが、この世界における汎用性のある照明器具であることは理解できるが、毎日、毎時、夜半同様の闇に包まれている旧都では、常にこの「夏祭り状態」が続いていることになる。

さきほどまでの喧騒を思えば、町民もそれに順応している節があるし、人間のように疲労で憔悴したり、ストレスを溜め込んで胃が開くとも思えない体の構造からか(ちょっと失礼だな・・・・・・)年中に及ぶ喧騒への疲れを感じたりすることなさそうで。
それゆえ、このドンチャン騒ぎに耐性のない、はたまた人間の己にとっては、あまり馴染める環境ではなそうだった。

パルスィ曰く、あの「うるさい町」。

――確かに静かに本を読めるような環境じゃないかも。

とはいえ、そんな理由で独自に家を建て、畑を作り、生活様式を確立させてしまうのは、さすがの行動力だといえた。
これがもしも智明の問題だったなら、即座、手ごろな値段の耳栓を買いに走るので手一杯だっただろう。

少し気になるのは、彼女があの家を建てたのは「パルスィ曰く」最近、との言である。
正式な年齢を尋ねるつもりはないが、少なくとも外見年齢で最低十数年の間は旧都に住んでいたことになる。とすれば、あそこまで町を嫌っていたパルスィは何のきっかけを以って、あの生活へと移行していったのだろうか。
考えられるのは、知人との関係の縺(もつ)れ。 男女関係の拗(こじ)れ。

――どれもしっくりこないな・・・・・・。

そう思った瞬間だった。

「え・・・・・・!?」

 ぱっ、と。
大路を暗闇が覆ったのである。

 慌てて周りに目を凝らすが、すっかり灯りなれてしまった目では状況を把握できなかった。理解できたのは、今までうっとうしいほどに輝いていた提灯の灯りが全て消えてしまったという事実だけ。

 ざわ。と町の雰囲気までも変わったところを見ると驚いているのは智明だけではないようだった。

 「停電?」

 外界では当り前に存在する現象だが、まさかこの世界で味わうハメになるとは思わなかった。
あまりにも自然で気付かなかったが、そういばこの町の電力はどこから回されたものなのだろうか。

――地下水脈を使った水力。地下という特性から地熱あたりか。

パルスィとの生活で漠然とこの世界の環境水準を知ったつもりでいたが、旧都は智明の思惑以上に発展しているようであった。
電気が来ると、一言でいっても。その発端として発電所、変電所という、一介の学生であっても専門的な知識を要求される高度な施設が存在するということになるからだ。

「っと」

足場の確保もままならぬ状況まま、遠くに浮かぶ、かすかな光を放つ人魂と思しき眺めてぼんやりと突っ立っていたのがまずかったのだろう。

何かに蹴躓く硬質の音が響いた、と思った瞬間。手の中から鋤の柄がはじき飛ばされたのだ。

「あ、ごめん!」

その声は、女性だっただろうか。

恐らくは杖代わりに突いていた柄に、急いでいた誰かがうっかり躓いてしまったらしい。「いえ」と否定の声を智明がかける間もなく、女性と思しき誰かは、そのままトタトタと大路を走っていってしまった。

しばらくして、「うわあ!」だとか「痛い!」という声が道の先々で巻き起こるのも、彼女のせいだろう。

この停電に思うところがあったのか。はたまた大きなトラブルが起きたのだろうか。
彼女はえらく急いでいるらしい。

――発電所の関係者なのかな。

ぼんやりと、浮かぶ人魂と思しき火の玉。その微量発せられる光を頼りに、飛ばされた柄を探そうと、なんの疑いも無く智明は膝を曲げ、

「痛っ」

後悔した。

――馬鹿か俺は・・・・・・!

ブツ。という嫌な音が体内で響いたと思った瞬間だ。
膝を曲げた折に皮膚引っ張られたことか、はたまた筋肉が強く収縮したから、あるいはその全てのせいか、患部に猛烈な熱さと痛みが走りに抜けた。

完全なる失態である。
停電の影響で注意力が散漫になっていた、といえば言い訳ぐらにはなるのだろうが、ただ杖を突いてピョコピョコ歩くだけならいざ知らず。痛みを忘れて傷口を広げるとは、あんまりにも馬鹿がすぎる

しかし、後悔で傷がふさがるわけも無い。

何かがヌラ、と足元を伝う嫌な感覚。

――まずいな。

間違いなく傷口が悪化し、出血を催していた。それも、内側と外側の両方。
数多重ねたガーゼから零れるほどの、だ。

最終的な結末として、目的地にさえ付ければ出血の一つや二つ、あるものだと考えていたが、己の行動でそれを早めてしまうことは、まったくもって想定外のことであった。
このままでは、目的地へと向かうどころか、小屋に帰るどころか、再び歩きだすことさえ難しい。

焦って回りを見渡すが、暗闇に凝る視界のどこにも、鋤の柄が見つからない。遠くに行ってしまったのか、はたまた動転していて見つからないだけか。

冷や汗が頬を伝った。

――とにかく、ここから離れよう。

予備として袂にしまいこんだ包帯とガーゼでとりあえずの応急処置を施すにしても、こう人が多くては集中することもできまい。

何にしてもこの惨状を、どんな「嗜好」のどこの「何か」に見られるか、わかったものではないのだ。記憶を引き起こし、今しがた通り過ぎたばかりのわき道を確認し、そのまま身を滑り込まそうとして。

ぱっ、と。
消えた時同様。唐突に、煌々とした灯りが道に戻った。
揺れる提灯。多くの人々。皆変わりなくそこに在り。

しかし、戻らないものがある。

「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

喧騒だ。

最初だれもが、瞬いた光に安堵の表情を浮かべ。そして次の瞬間には智明の現状に目ざとく気付いたのだろう。

驚愕か。はたまた戸惑いか。まかりまちがって、「歓喜」だろうか。

言葉を発することを忘れたように、彼等は冷えた視線で智明、――正確にはその足元を濡らす真紅の液体を、じいっと見つめていた。

遠くに聞こえる。「この場以外」、日常に立ち返ったものたちの音が聞こえてきても、智明を囲む彼等はいっこうに動かない。小声で会話するような声が聞こえ。何かを伺うように、ただ視線を他者に向けるだけだ。


かくしてそんな状況に置かれた男が一人。


「・・・・・・」

これまた無言。
しかし内情は、とても表現しきれないほどに混乱していた。

砂嵐のように感じられる錯綜の最中、舞う単語は「なんで」「どうしよう」「もしかしたら」。という単品で意味のないものばかり。嫌な想像を生み出して、踏み潰し、踏み潰した先から、食虫植物のように足に絡みつくそれを更にちぎり、・・・・・・・。


無言の相対が、十数秒に到る。
不思議とどちらも、決定打に掛けたように不動。そのため、バチバチと視線で睨み殺そうとしているように傍からは見えるのだが、果してその想像がどこまで正しいのだろうか。

無限にも思える、奇妙な沈黙。

しかし人為を越えた妖怪の町であって、時間は平等に流れていく。

聞こえたのはちょうど智明の真後ろだと思う。
硬質の岩を強引に馴らした、人工的な大路をコツコツと誰かが歩いてくる。

一考、この珍妙な光景が目に入らず、やってきてしまった部外の者かとも思ったが、こんな状況で何を楽しむというのか、すかさず脳内での否定が入った。

だからといって何ができるわけも無い。この誰かの登場を皮切りに行動を起こす勇気もなく、同時に、その誰かに振り返ることすら出来なかった。
かねがね小心者だという自負があったが、土壇場でのそれは想像のはるか上を行く。女々しいといわれても、今度からは反論しないようにしよう。


――ど、どうする・・・・・・?

「なぁ君」

掛けられた声は、ぶっきらぼうながらも味のある女性の声だった。
足音が止まったところを思うと、今しがた背後によってきた人物だろう。
そしてなぜか、向けられた声の先に智明がいる。

「・・・・・・な、んでしょうか」


「もしかして「イズミ」君じゃないかい?」


ポン。と肩を叩かれた拍子。
「うひゃあ」。うっかり出てはいけないものが出てきそうになった。




◆ 「以下より追記」




「今日のことは本当に申し訳ないっ!」
「え? ええと、あの・・・・・・」
「この詫びは必ず! 後日、「必ず」させてもらうからっ!」
「お、お詫び・・・・・・?」


まるで進展ない会話が昇り立ったのは、濃い茶葉の香りが立ち込める、古めかしい内装ながらに掃除の行き届いた落ち着きのある茶房の一室であった。


――もしかして「イズミ」君じゃないかい?


あの後、その質問に無言で頷いた智明を、問答無用で肩に担ぎ(死ぬほど恥ずかしかった)――改めて「黒谷ヤマメ」と名乗った女性は、治療と休憩、それと得も知れぬ「詫び」をするという名目でここ運び込んだのである。

足に負担を掛けないため、普通中央に居座っている大型の木製テーブルは端に寄せられ、大の男が寝転がれるだけのスペースが用意され、四方を壁と、閉じた襖に囲われた部屋の中。智明は出入り口から少し離れた壁際に置かれた座布団を頭にして横たわる、その傍らにヤマメが座す形になっている。


連れてこられた当初こそ、その強引で唐突な行動にやや取り乱しもしたが、寄席(よせ)に使われるような分厚い座布団の感触と日に焼けた畳の微かな香り。そしてやや黄ばんだ蛍光灯の光を含めた茶房の雰囲気の前、いつしか緊張の色は、その色彩を弱めていた。

同時、あの危機的状況を脱することができたことへの礼を改めて述べようと口を開いたところで。冒頭、いきなり謝罪されるという困った事態に陥っていたのだ。



対面に座る女性、黒谷ヤマメ。

一見して、見目麗しい一般的な子女と見えるが、大の男を一人軽々と肩に担いで歩く、外見からは想像もつかない膂力。成人男性相手に、二人きりの個室に押し込める物怖じを感じさせない豪胆さが垣間見える、奇妙な人物であった。

また手首や顔の輪郭から全体的に華奢なイメージであるにも関わらず、パニエ(スカートを膨らませるための下着)を複数枚重ねているのか、スカートに包まれた腹部だけが、やけにふっくらしているのが印象的で、その雰囲気と相まって「蜘蛛」を彷彿とさせる着こなしが印象的である。

パルスィが口調や行動から年不相応の「深み」を醸し出す異質な存在だとすれば、彼女は、年頃の少女には似つかしくない威風堂々と佇まいそのものが常軌を逸していた。

もちろんそれは人相が悪いだとか、目つきが悪いとか、そういった外見要因ではないのだが。かといって「それ」が何かを説明しろといわれても、遂行できる語彙が、智明にはなかった。

つまるところ、・・・・・・こういう言い方は本意ではないが、やはり彼女と同様、黒谷ヤマメは「人間でない」別個の存在である可能性が高いという結論に落ち着くのである。
そして智明という人物を知っている、という事実が、この「黒谷さん」と智明を繋ぐ、ある人物を暗に指し示しているように思えた。


「あの。「お詫び」というのが、何かはよくわからないんですけど。もしかして黒谷さんは、パル・・・・・・水橋さんのご友人、なんでしょうか」

今まで一方的に捲くし立てていた彼女は、智明の質問にピタリと口を閉じ、と、同時に身を震わせ

「く、黒谷さん? そんな他人行儀な、むず痒くてたまんないのは止めてくれよ。普通に下の名前で呼んでくれないかな」

言い募り。ふと、思いついたよう。

「・・・・・・そうだな、君だけ特別に「ヤマメちゃん」と呼んでくれても構わないよ?」

うふ。と、先ほどの深刻さとは打って変わって愉快な声色で、カラカラと笑い。パルスィのソレと比べて明るい金の髪を結わうカラスアゲハ(黒い蝶)のような大きなリボンを愉快げに揺らしてみせる。

その変わり身の早さは、さてはて性格なのか。隙あらば、とにかくギャグ挟もうとする「誰か」に似た印象を智明に抱かせた。

「おおっと。不真面目な態度はよろしくないね。
話が前後したが、さっきの質問の答えは「応」、だよ。
この界隈じゃ有名でね。パルスィとアタシは、「あの子」がここにやってきた時からずぅーっと世話を焼いてるんだ。お互いにね」


そこで一旦ヤマメは智明から視線を外し、割烹着に身を包んだ茶房の従業員と思しき人影に向かって「座敷に客を寄らせないでくれ」と声を掛けた上で、

「いきなり詫びられても意味がわからないだろうが、とりあえず、アタシに非があることだけは忘れないでくれればいい。
イズミくんのことは、もちろんパルスィに聞いたんだけど・・・・・・」

だけど。と発言をしたまま、ヤマメの声量はどんどん尻すぼみに落ち込んでしまった。
その顔は、山と成す語るべき物事を、いかにわかりやすく説明するべきかと思案しているように見えた。

しかしヤマメは視線をさ迷わせる最中、絶賛鉄分放出中の智明の足に、気がつくと柳眉を潜め。

「とりあえず手当てを先にしようか。
こう血の匂いをプンプンさせてちゃあ、余計な奴まで寄って来ちゃうからね」

 彼女の言う「余計なもの」がなんなのかを問うのは怖いので。とりあえずの応急処置として、血ぐらいは止めておくべきか、と智明は袂から換えの包帯とガーゼ(という名の手ぬぐい)を取り出した。

 実をいえば、そんなことよりも早く、彼女からパルスィについて情報を得たかったのだが。このままの状態を曝し続けて、相手に気を使わせることになるのは憂慮すべきことであった。

 傷口を見せないよう、治療の間はヤマメに外を向いていてもらおう、と口を開こうとして。

よいしょ。と掛け声一つ。
一呼吸早く、彼女はこちらに身を取り出していた。

「何をしてるんだ? ほら、早く出して」
「え? でも傷は腿の付け根辺りにありますから、こんな場所でまさか下を脱ぐわけにもいかな――――い、って言ってるじゃないですか!」

恐らくは見慣れない服であろうに。
特に物怖じした様子さえなく、ヤマメはむんず、と智明のジーンズに掴みかかった

「下着は履いてるんでしょ? 恥ずかしがらなくても人避けはきっちりしたからダイジョーブ」
「目の前! 目の前に人目が!」

若い男の下着姿なぞ、糞食らえだ小童め!

などと思っているのか定かではないが、踏ん張りが効かずにモゾモゾと無駄な抵抗する智明をあっさり押さえつけ、ベルトをもぎ取り、ジーンズを脱がした後、特段の感慨も無さそうに、ヤマメは傷口を注視した。

「なるほど、これは目の毒だ。
ん~、熱は持ってるけどこれはここまで歩いてきたせいかな~。あの小屋からここまで来るのは随分大変だったろうに」

ふにゃ、とした柔らかい手のひらが、触診の度にピタピタと内腿に触れ、その冷たさと対照的に、智明の顔は比例したかのように赤くなっていく。
言うまでも無い。不可抗力だ。

「き、傷口を開いたのはほとんど私の過失ですから。
それに農具を分解して、柄を杖代わりに持ってきたので、ここに辿り付くことまでそれほど苦労はしませんでしたよ」

骨折したときによく用いられる松葉杖と違って、あれは全身を預けられる優れものでこそなかったが、介助という意味果たしてくれた役割は幾分大きかった。
暗闇で動転したとはいえ、柄を拾うために屈む、なんて馬鹿な真似さえしなければ、あと数時間程度は歩けていたかもしれない。

「さっきの停電で、どこかに落としてしまったんですけどね。――そういえば、あの停電は何かトラブ――、事故でも?」

 思い浮かんだ疑問をきっかけに、せめて沈黙を得ないよう、賑やかしの思惑で口を開く。

備え付けのお絞りで傷の回りの血を拭い、智明から譲り受けた包帯で、改めて患部を巻き直しながら、ヤマメは諳(そら)んじるよう、その質疑の応答のため、顎に指を当てた。

「あー、あの停電ね。詳しくはアタシもわからないんだけど、数ヶ月まえからやけに「落ちる」のは確かだよ。
でも、暗くなるのはせいぜい数分だし、三日に一回起きるか起きないか、そんな頻度なもんだからさ。正直なところ今まで深く考えたことはないんだ」

ほい、完璧。と。
止血の意味も込めてか、きつめに包帯を結び終えた足をポン、と叩いた。

下着一枚の下半身からヤマメが離れてくれたのを皮切りに、ここまで歩いてきたものではない、疲労がドッと押し寄せてきた。

「包帯。ありがとうございます」
「ああ、良いんだよ。半分は罪滅ぼしみたいなもんだから」

そう言うなり、ヤマメはもともと自分の座っていた分厚い座布団の上に座ることなく、部屋の一角。襖を少し開けた先へと顔を突っ込み、従業員(だろうか)を改めて呼びつけた上で、なにやら言葉を交わしていた。

恐らく、智明の着替えが終わるまで待ってくれているのだろう。
ここが茶房であることを思えば、話をする前に何か飲み物を頼んでいるのかもしれない。


和気藹々と談笑に興じる、ヤマメと店員の会話に耳を傾けながら、出来るだけ急いでジーンズに足を通していた智明は。ふと、慣れない環境に戸惑い、振り回されるばかりであった自分が、ここに来て以降、落ち着き始めていることに気がついた。

――いろいろ焦りすぎたからなぁ・・・・・・。

思えば現在に至るまでの三日間。
空腹。激痛。パルスィの失踪という懸念。そして先ほど味わった予想外の出来事への焦燥。
数日の合間に起きるには濃すぎる負の出来事の連続に、いささか以上、智明はストレスを溜めこんでいたらしい。

たかだか数日間を一人で過ごしたぐらいで情けないことだが。
つまるところ、こうして誰かと会話をしている、という安心感に、ようやく体が平常心を取り戻したということになるのだろう。

さっきまでは歩く方向や話す相手にだけ。常に目の前にしか向かなかった視線と意識が、部屋のあちらこちらに拡散するのを感じて、智明は苦笑を一つだけ零した。







どかされていたちゃぶ台が元通りの場所に設置し直され。その上、乗った二つの濃緑のお茶が湯気を立てる最中。
ようやく本格的な情報交換を始めるために、智明とヤマメは揃って額を付き合わせていた。

しかし一瞬、どちらもお互いを伺うように口を閉じ、目線で訴えかけあう。

――さあ、どこから話を始めようか。

結果。応酬の果てに口火を切ったのはヤマメ。

さて、

「何度も何度も言わせてもらうけれどね。今回の件はほぼ間違いなく、全面的に私が悪くて、そんで最終的には君に平謝りすることになると思う。・・・・・・思うんだけどね?
ほら唐突に「ごめんなさい」って謝られても、君にしたら全く意味がわからないだろうし。私にしても、ほんの少し不可解な部分があるからさ、まずは君の話をしてもらってもいいかな?」

彼女の提案は、言ってみれば別々のヒントを与えられた、同一のクロスワードパズルの穴を埋める、とでも言うような。情報の共有と補完を目的にしていると思われた。

無論、不明な点と状況整理を欲しているこちらにとっても有益なその提案に逆らうわけもない。智明は即座に首を立てに振った。

了承を確認し、ヤマメが発した疑問。それは、

「なんで君は、こんな危ない場所にわざわざ出向いて来たんだい?」

この一言に集約される。

言ってしまえば。傍から見て智明が「何を目的に」してどうしてそこまで「必死になっている」のか。恐らく、最も重要な核心、――動機に理解を示せないのだろう。

もちろんそれは、ヤマメが人心に疎い存在であるからという理由では恐らく無い

突拍子もない直感に、漠然とした予感と予測を混ぜたような、矮小な精神と早合点から生まれた智明の「妄想」そのものが、万人の常識に疑問を持たせるものでしかないからに他ならないのだ。

「―――」

パルスィの口約。そしてそれが守られない内に発生した失踪。
井戸水のみでの生活で肉体的に追い詰められていた事実、外に落ちていた新聞から得た不穏な情報の結びつけた果て、論理と真っ向から喧嘩を売るような突拍子もない妄想が生まれたこと。
そして、今。旧都にまで足を運んでしまっている現状。

「と、いうわけです」

それらを全て。なるべくありのままにヤマメへ伝えながら、智明は今更ながらの羞恥の海に溺れそうになっていた。

穴があったら入りたいどころの騒ぎではない。むしろ入った後、そのまま埋めて欲しい。
何を隠そう、智明の行動原理はあまりにも「妄想に傾注しすぎている」のだ。


しかし、一方でヤマメは、そんな智明を茶化さないばかりか、こちらの話を聞けば聞くほどに苦悶の表情を浮かべていき。
最後には。

「あ~~~~~~」

路傍に張り付いたガムのようにべったり、テーブルに張り付いてしまった。
そして常に自信に満ち溢れた声色と気色を持った女性は、

「なんて言うかな。 アタシはもう、君に何されても文句言えないなぁ、なんて思ったりしてるわけ「ですよ」」
「なんで、敬語なんですか・・・・・・?」

キャラが、変わっていた。

しかしヤマメは自身のそんな変容など気付いていないようで、下手をすれば精神疾患を抱えたような、死んだ目のまま。

「嘘つきました!」
「えぇ・・・・・・?」

今度は叫ぶ。智明にしてみれば奇奇怪怪極まるその豹変。

「君がなんでこんな場所に来たのかはよくわかった。その上で、だ。
私が一つだけ伝えられる確かな朗報は、明日か明後日までに、パルスィはちゃんと家に帰ってくる、ということ」

思ってみない方向に着弾した結論(キャラの方向性ではない)に、今度叫びを挙げたのは智明である。

「ほ、本当ですか!? というか! え、パルスィさんと何時、どこで会ったんですか!?」
「何時と聞かれれば、・・・・・・三日前」

三日前といえば、奇しくも彼女が失踪した時期に重なる。
その後も同じ場所にいる可能性は低いだろうが、その場所に行けば、今後の行動指針になるものが見つかるかもしれない。

与えられた有益極まりない情報に、沸騰する脳内。しかし、

「何処と聞かれれば、・・・・・・パルスィの家の前にある橋で」
「・・・・・・、門出橋、ですか?」
「あー、うん。ちなみにアタシ達は、そこでこんな会話を交わしました」
「・・・・・・」
 
こほん、とヤマメは咳払いし。やや高飛車風の、ツンケンとした声色で、

『私、これからどうしても行かなくちゃいけない場所が出来たから、その間ウチの「怪我人」の面倒、変わりに見ててくれない?
もちろん、アンタへの貸しは山ほどあるんだから、拒否なんてさせないけどね』

なぜいきなりの声真似なのだろうか。

セリフの内容は頭に入ってこなかったが、どうやら家の前で交わした会話を、口頭で再生しているらしい。もちろん上の発言はパルスィのものだろう。
また、理解しておいてなんだが、子音の一つでも聞かれたら、冥府の底に叩き込まれそうな悪意に満ちたこの演技は、今更ながら、心臓に悪すぎた。

 顔を青くする智明に気付くことはなく。
ついでヤマメは平常どおりの口調に戻し、先ほどのパルスィを模したヤマメ自身への返答として、

『この間は迷惑かけたし、まぁ、看病くらい変わりにやってやるから。安心してこのヤマメさんに任せなさい』

「・・・・・・と、アタシはパルスィに言ってしまったわけだ」

親指をグっと立て、笑顔のまま、「どうしよう?」ダラダラ脂汗を流し始める。

――俺にいったいどしろっていうんだ・・・・・・。

「・・・・・・」

唐突に始まった寸劇に呆然。加え、その衝撃的な内容に頭のついてこない智明は、ヤマメに対して「オーバーアクションの勇」という称号を与えた上で、じっくりと再考し、

「つまり、パルスィさんは、何か用事があって、すぐには家に戻ってこれなかったわけですね?」
「うん」
「それでヤマメさんは、「怪我人」――つまり私の看病して欲しい、と彼女に頼まれた」
「うん」
「しかし結果。ヤマメさんは何らかの都合で、この約束を反故にしてしまった、と?」
「都合っていうほど重要なもんではないけど、だいたいその通りかなぁ・・・・・・、な~んて・・・・・・・。
・・・・・・お、怒ってる?」

怪訝な声色の先。
さきほどとは打って変わって、今度ちゃぶ台に張り付いたのは、――智明であった。

内心に渦巻く、安堵と羞恥。伴って顔に昇る血液。
それらを静めるため、ニスの塗られた艶やかな盤面に鼻を押し付け、深呼吸を繰り返していたのである。


――し、死にたい・・・・・・。


ヤマメの話が真実だとするならば、この失踪の顛末は単なる「情報の伝達ミス」と「行き違い」でしかないことになる。いや、そもそも彼女は単に長期間の外出をしただけで、そもそも「失踪」という単語自体が不必要なのだ。

パルスィは不測の事態に備えて、きちんと手を打っていた。

結末はそれを受け取った「第三者の都合が悪かった」。たったそれだけのこと。
陰謀も、策略も、伏線もあるわけがなかった。


今更ながらに言わせてもらおう。
当り前だ。


現実は小説ではない。
与えられた全ての情報に繋がりがあり、全てが知りたいことに直結するものである保証なんてものはこの世のどこにも存在しないのだから。


問題は、「それだけのこと」を、今、この話を聞くまで想像すら出来ず。手当たり次第に得た情報を安着に組み立て末、「失踪」などと騒ぎ出した馬鹿が一匹だけ存在することである。

何が殺人事件。何が交通事故か。
そんな理由でこんな場所に足を運ばずとも、あと一日二日、家で寝転がっていれば彼女はなんの気兼ねもなく、あの小屋に帰ってくるのだ。


「ど、どうしたんだい」

――妙な妄想で空回りしていた自分の馬鹿さ加減に呆れているのです。

勝手に怪我を悪化させ、自分だけが疲れて血反吐を吹き散らすならば、まだ納得がいく。
全てが自己責任で、誰にも迷惑を掛けなければ、このまま小屋に帰って今日を無かったことにも出来ただろう。

しかし今回、『旧都』に見知らぬ人間が珍妙な出で立ちで出入りしていた事実。ヤマメに対して迷惑を掛けている現状は、既にそれを不可能にしていた。

もちろん、さっきの話を聞けば、ヤマメにもある程度の非があるように思えるが。彼女とて一個の人間。必ず約束を守れることなどありはしないのだ。


モンモンと頭を悩ませる智明がさすがに心配になってきたのか、ヤマメはあくまで沈黙の帳を引き裂くよう、本筋から少し離れた、「なぜ約束を守れなかったのか」その理由を口にする。

「あー、そのなんだ。
言い訳ってわけじゃあないんだけどさ。実は四、五日か前にアイツと「鍋に入れる具材」で喧嘩になっちゃってさあ。
聞いとくれよ。鍋に入れる「鶏肉」を持って来いって言ったくせにだよ? あたしが「ささみ」持っていったら、「鍋って言ったら普通胸肉とか持ってこない?」とかなんとかのたまうもんだからさ、アタシも「そっちだって鍋に甘藍(キャベツ)はありえないだろ」って吹っかけちゃってさ。
・・・・・・そしたらもう大喧嘩さ」
「・・・・・・」
「終いにゃ撃ちあいまでおっ始まっちまったもんだから、今度は勇儀の姐さんまで喜んで参加し始めちゃってさ、うっかり、・・・・・・「うっかり」だよ? アイツが溜め込んでた裏手の薪の山を吹き飛ばしちゃってさ。アイツの激怒具合が更に大変なことになってねぇ。
いやぁ、――あの時は真剣(まじ)に殺されるかと思った」

ふと、いつかの夜。パルスィが薪の温存という名目で、読み終わった本を燃やしていたことを智明は思い出した。
今にして思えば、あの行動がヤマメの言う喧嘩の弊害、その延長線上にあったのかもしれない。

――それにしても喧嘩かぁ。

親友であろうと友人であろうと。些細なことでも、鬱憤と場合によって諍いに発展することがままあることだ。
人と人の場合ならば、時に他者を傷つけることそのものを恐れて諍いを止めることもあるが。ヤマメの話を聞くに限り、彼女たち妖怪という種族は、自己のメンツのために譲歩を知らない分、どこまでの闘争の熱を高めて行ってしまうのかもしれない。

それはよく言えば一貫した主張のぶつかり合い。悪く言えば頑固者同士の意地の張り合い。

無論その果て、備蓄していた燃料をあらかた吹き飛ばされたパルスィの怒り具合に想像を巡らせる気はさすがに起きるわけもない。もちろん、主に精神衛生の面で。

時系列として、「うっかり」で重要な資源を燃やされた後、死にかけの男を拾って生活を乱され、挙句の現状、「その患者」が町で騒動を起こしている。


いろいろな真理には届くまいが、こと今回に関しては、最大の貧乏くじを引かされたのが彼女であることだけははっきりしているのである。一考していた彼女への礼も、必然、ランクアップさせねばなるまい。


数々の懊悩で、脳内をフル回転させながらも、決して茶々を挟まない智明に、ヤマメはほんの少しだけ口調の勢いを削ぎ落とし、ぼやくように二の句を継いだ。

「んで、その騒動が終わった後は・・・・・・そのまま喧嘩別れって感じだよ。
その日の内に謝りにいっても完全に無視って始末でね。数日間は音信も不通。で、挙句に「借りが山ほどあるでしょ」っていう冒頭発言に繋がるわけだね」
「つまりそれで」
「そう。なーんかそのまま扱き使われるのが癪になっちゃってさぁ。看病を頼まれたのが病人じゃなくて「怪我人」だっていう言葉にも安心しちゃって」
 

小屋には十分な食料と水、薬もある。
たった一日くらいなら、当て付けに放置してもいいじゃないだろうか。


ヤマメは、そう言葉にしてから、やや湯気の薄くなったお茶を啜り、団子状に結んだ自身の髪の毛をペシペシと叩いた。

「だけど見当違いが度を越えてた。
さっきも言った「勇儀」っていう友人がこれまた気ままな御仁でね、勝手に入ってきては家を荒らすっていうもんだから、アイツは食料と酒の備蓄倉庫にはしっかり鍵が掛けてたわけだ。んで、私が預かった鍵と、恐らく家のどっかに置かれた鍵がないと、開け閉めは不可能ってね。
ついで間が悪いことに、そのたった一日の後に顔を見せる時間がどうしてもつくれなくてね。ついさっき仕事を終えたばかり。急いで小屋まで行こうと画策している間に、君を街角で見かけたって顛末さ」
「そのお陰で助かったこともありますよ」

彼女の顔に苦笑いが浮かぶ。

「あはは、ありがと。
でも喧嘩した相手じゃなくて、その「連れ」に因縁をつける。
いざ言葉に出してみると完全にアタシが最低だ。だからさ、こうして直接会えてよかったのは君だけじゃないんだよ。
――本当に申し訳ない」

「・・・・・・」

智明は、全ての事象を理解した上で下げられたその頭を、今度は否定しなかった。

理屈の通らない謝罪。己が得るべきと判断しかねる謝罪は断固として受け付けるつもりはないが、それ以外は別だ。

しかし、受け入れたからといって、頭を下げられるという行為は激しく嫌気を催すものであることに違いは無い。かつて誰かが、最上の精神攻撃は謝罪だと言っていたが、なるほど、この胸の悪さには覚えがありすぎる。


「一応謝罪は受け入れました。
けれど、こちらにも勝手に歩き回って傷を悪化させた自業自得の部分もありますから、やっぱり今回のことはなかったことにしませんか」

基本的には「持ちかける」形で話を進めるが、相手の「否」を受け入れるつもりは智明になかった。

「全部貴方の言う通りですよ。たった一日放置されたぐらいで人は死にません。「現に」、私はここまで何キロも歩いてきたわけですから」

おまけに妄想逞しく、だ。これが死にかけの人間が起こす行動であるわけがないだろう。


「それにさっきも言ったように、あの場でヤマメさんに助けてもらえなかったら、私はどうなってしまったかわかりませんでしたし」


命の恩人と、命を危ぶめた当人。一緒くたにすればプラスマイナス0。
その理論をゴリ押ししようとしたところで、ふとヤマメが怪訝な顔をしていることに気がついた。

「あの、どうかしましたか・・・・・・?」
「う~ん。どうにも要領を掴めないんだけどさ、「助けた」って、誰が、誰を?」
「ヤマメさんが、私を、ですよ」
「誰から?」
「それは、ええと・・・・・・町の人から?」

間違ってはいないはずだが、ヤマメの顔に相変わらず理解の色は伺えなかった。どうにも智明の主張に全く得心がいっていないらしい。

思わぬところで食い違う意見に、智明の焦りが増した。

「この町の「人間」について君はどれだけ知ってるんだ?」
「ほとんどが地上から追われた・・・・・・「忌み嫌われた妖怪」だと」

本来ならば、その“地元民”に話すべきことではないのだろう。しかしこの違和感の正体を知るために、あえて智明は口のすべりを止めなかった。

しかしこちらの言葉に怒るでもなく、淡々と話を続けるでもなく、なぜかヤマメはこちらを見るなり、クスクスと笑いだした。

「なるほど、これでようやく全部の違和感に得心がいった」
「どういうことですか?」

さて、どうやって説明したものか。とヤマメは唇を舌で湿らし、

「認識の違いって奴かなぁ。
忌み嫌われた妖怪達がこの『旧都』を作ったっていうのは本当だよ。でもそれは人間に「迫害を受けて」仕方なくってわけじゃあないんだ。
考えて見てくれよ。アタシを含め、パルスィみたいに気性の荒い妖怪たちと真っ向から対立したらどうなると思う? 潰しあいの殺し合い。どっちか片一方が降伏するまで戦いつづけた先に待つのは、不毛の荒野か、外と同じ人間の文明だけだ。
だけどもそれじゃあ、「幻想郷の意味」がない。妖怪のための妖怪による治世に、妖怪同士の争いは禁忌そのものってことになるわけだ」
「同じ妖怪でも、住み分けが必要になった、というわけですか」

同じ鳥でも、雀と鴉は違うよう、同じ妖怪であっても適応できる環境と社会には大きな開きがあるとするならば、似たもの同士がそれぞれの場所で社会を作り、干渉しないようにしてしまえばいい。
つまりこの地底に建造された世界は、そういった考えに基づくものなのだろうか。

これが人間の種族差と解釈してしまえば、文化を交えないとする「鎖国」に似た閉鎖社会への鬱屈したものを感じられるのかもしれない。

が、子孫を残し、繁栄していく必要性のなくなった大半の妖怪たちにとっては、その閉鎖社会こそが延命の術だとするならば、建造されるべくしてこの都は作られたことになる。


「人間に対して良い感情を抱いてない奴が多いのも事実だけどね。率先して手を出すほど分別がつかない奴等じゃないんだよ。
特に最近、湧き出た温泉で『旧都』の財政を潤そうって、人間を呼び寄せようとしているくらいなんだからさ」

しかし、それではあの智明に注がれた嫌悪と畏怖を混ぜたような視線はなんだというのだろうか。
口には出さずとも、そう訴えかける瞳に、ヤマメはニヤリと笑みを寄越し、

「さっき君が言ってた新聞の記事さ。思い出してごらんよ」

――新聞の、記事?

思慮の外に追いやっていた予想外の単語に、智明は目を白黒させた。

「たぶん小屋の前に放置されてたのは数日前の記事だろうね。
何を隠そう、今の幻想郷はその「妖怪殺し」犯の話題でいっぱいいっぱいってことさ。
無血の決闘法、『呪符制度』(スペルカードルール)が蔓延する中、そんな事を起こすのは部外者の妖怪か人間しかいない、っていうのが妥当な見解でね」

つまり、

「見も知らない。おまけに血の匂いをプンプンさせた人間が歩いてきたら、誰だって恐ろしくなるってことだよ。
ああ――、だからあの時、君は町の人間と「熱心に見詰め合ってた」んだね。
くく・・・・・・!」

「・・・・・・」

無表情になった智明の反応が面白かったのか、割かし本気で身もだえするヤマメに顔向けすることも出来ず、智明は自身に「妄想の勇」という称号を与えた上で、平静を保つフリをしたまま、ずずっとお茶をすすり上げた。




その後、智明に対するヤマメの謝罪は、協議の末。
茶房のあんみつ一つで済まされることになった。









「いやいや、「智明君」はたいしたもんだと思うよ?」

あんみつの豆の皮を前歯で齧りながら、ヤマメが先ほどとは打って変わって打ち解けた表情で智明をそう評した。

ヤマメの謝罪が終わった後。智明の休憩。そしてヤマメの慰安という名目で、一組の男女はそのまま茶房の一室に居座っていた。


「たいした勘違いぶり、とか言うと怒りますよ」
「まぁそうヘソを曲げないでくれよ。その足で小屋からここまで歩いてきたことが凄いっていう話なんだからさぁ。
ただ、あのままアタシに声を掛けられてなかったら、「旧都」のどこを目指していたかは気になるかな」

思えばパルスィもそうであったが、基本的に彼女達は食というものに貪欲であるようだった。
既にヤマメの前には、食べ終えたあんみつの椀が三つ、ワラビ餅の皿が二枚、みたらし団子の串三本、が積み上げられており、必然、彼女の抱えた椀の中身は四杯目となる。

「有名どころでいうと、やっぱり地霊殿かな?」

地霊殿、という場所に、智明は聞き覚えがあった。

記憶が正しければ、これからパルスィと謁見に向かう「覚(さとり)」という妖怪の住まう場所だっただろうか。
ならばそこは目指すべき場所ではなく、双六で言うところのゴールになるわけで、

「いえ。何日か前、パルスィさんがあの小屋に移り住む前は『旧都』の一角に住んでいた、と言っていたので、そこに行けば、「失踪」の手掛かりくらいはあるかなぁ、と」
「失踪か。うん、そりゃあ大変だな!」

深刻そうな声色だが、ヤマメは間違いなくこちらをからかっていると思う。

「ってことは何? 住所も地図もなく、ただなんとなくでここまで来たってこと?」
「概ね。・・・・・・計画性の無さに呆れられるのも無理はないと思いますけど、私としては立てる計画そのものが曖昧な土台の上だったものですから」

数日振り、口に含んだ甘味は予想以上に甘露であった。
智明は行儀が悪いな、と思いながらも噛み潰した牛皮(あんみつの上の餅)を飲み込みながら、小屋を出発する前に描いた、行動予測を思い描いた。

「パルスィさんが言うには、庭に菜園のある廃屋で、門出橋の小屋に越してきたのは「周りの喧騒に耐えられなかったから」らしいですから。恐らくは繁華街の近くにある廃屋のどれかだろうと思いまして。
表札は掛けていなかったでしょうから、とりあえず目的地を絞った後、人づてにでも聞き渡っていけばたどり着けるものだと軽く考えていたんですけれど・・・・・・」

そして現実はそう甘くなかった、という結論へと繋がっていく。

「無策よりかはマシって感じだけど。まぁ、考え無しじゃあなかったわけか」

いやしかし。そう前置いてから、ヤマメは口の端に笑みを乗せた。

「一宿一飯の恩義でそこまでアイツを心配できるっていうのは天晴れな話だね。
これがアタシらとなれば、命がけも矜持として箔の一つもつくんだが。それを人の身でやってのけるとは実に業が深い。
――屁理屈抜きに尊敬しちゃうよ。もちろん申し訳なさも含めてね」
「・・・・・・その話はもうナシにしましょう、ってさっき約束したじゃないですか」

「悪い悪い」と決して悪びれず、再びあんみつに興味を移してしまったヤマメに苦笑を向けた上で、智明は思った。

――確かにずいぶんと無茶をしたもんだ。ヤマメさんに笑われるのも頷けるよ。

よく、気が張っていると時を忘れるというが、その範疇が痛覚や疲労にまで及ぶと知ったのは初めてことである。たまに指先の「ささくれ」から出血していることに気付かないこともあるが、それとはさすがに次元が違うだろう。


――何にせよ、一件落着かな。


こうして久々の甘味にもありつけ、傷口の悪化の懸念もなく、手段の如何は不問としても、ヤマメという最大限、考えうる限り最上の協力者を得てられた。

あとはこのまま小屋に帰り、パルスィが帰ってくるのを待てば、あとは流動する運命に見を任せるだけ。

記憶喪失からの回復、という一点において、いくつか心配な点もあるにはあるが、それは智明が悩んだところでどうにもなら無い問題である。


「智明くんはやっぱりこのままアイツの家に戻るんだよね?」
「はい。パルスィさんが予定より早く帰ってくることも考えられますから。怪我人がうろうろと歩き廻っていると驚かせてしまいそうですし。それに少しだけやりたいことがありまして」
「やりたいこと?」

そうヤマメが疑問を発し、黒蜜をたっぷりと吸った寒天を匙(さじ)で掬い、口に持っていこうとした、――その時であった。


「「ん?」」


同時、二人は怪訝の唸り声を上げ、突如テーブルに浮かんだ黒色の物体に気がついた。
智明は最初、ヤマメが食べ終わったあんみつの椀を置いたのだと思っていたが、

「?」

――手に持ってるよな・・・・・・?

しかしこの物体。よく見れば平面である。つまり、実体がない。そしてそれはどう見ても何かの「影」にしか見えなくなってきて――、


瞬間。


パコーン!! と。
凄まじい勢いで、何かが文字通りテーブルに「落ちてきた」。


「うわ!」
「ひゃあああ!」


後者が智明の悲鳴であり、ついでに言うと前者がヤマメ。

いっぱしの男でありながら、悲鳴の濃度が高かったのは間違いなく智明。しかし事前、匙で掬われていたヤマメのあんみつが顔面に直撃したせいでもある。

悲鳴を聞きつけたのだろう。

「どうかしましたか!?」飛び込んできた店員に「なんでもないよ!」「え?でもお連れさんが・・・・・・」「へ、偏頭痛なんだってさ・・・・・・」「・・・・・・はあ」

どうにもかみ合わない会話の果てようやっと店員を室外に追い出すことに成功。

一方、ねっとりした黒蜜が眼球に触れた瞬間の痛みに身悶えする男は割と必死、手をつけられていないお冷の水で眼球を洗浄していた。

「智明君大丈夫? もう、何やってんだよキスメ!」

痛みと水のせいでぼやける視界の中。智明にあんみつをぶっかけたヤマメは、言葉で気遣いながらも、さきほど何かが落下してきたナニカ(きすめ?)へと若干尖った声色を投げかけることに夢中であるらしい。

天井のある室内で、落ちてくるというものといえば電灯が定石だが、どうにも「これ」はキスメという「生物」らしい。

――なんか小さい、・・・・・・葉っぱ?

ぼやけた視界の中では、緑色のナニカ、にしか見えない。ついでにいうと、植木鉢のような寸胴の入れ物に入っていて、どう見ても生き物とは思えなかった。
近いものを言い当てるとするならば、

――アロエ・・・・・・?

の新種だろうか。いや、落下とは関係ないか。

ちょん、と尖って揺れる。その葉先と思える部分に指先を触れさせてみると、さらりとした絹糸のような質感が帰ってくる。
謎すぎる物体であった。

「あーあー。もぉー、せっかくのあんみつがひっくり返っちゃったよ・・・・・・。落ちるかなぁ、落ちないよなぁ・・・・・・」

説明を要求しようとヤマメのいる場所へ漠然と視線を送ってみたが、ごしごしー! と、付いてはまずいシミを消すため、必死に座布団と畳をおしぼりで削り始めてしまった。

しかし落ちないと理解するや否や、今度はくるりと座布団を裏返し、とどめとばかり、やや不自然な位置。隠蔽のために敷設を開始。――終了。

「完璧だね」

とりあえず一連のヤマメの隠ぺい工作に口を出すわけにもいかず、じっと待機していたお陰か、ようやく回復し始めた視界の正中。ようやくその謎の物体へとくっきり、視線を注ぐが、

「智明君、そんなにゴシゴシ擦ると目に悪いよ?」
「・・・・・・」

人だ。それも、桶に入った。

――小さい女の子。小さい、女の子・・・・・・?

しかしそれは人と呼ぶべきなのか、智明に自信はなかった。
いくら小さいとはいえ小学生であっても頭部の大きさ、重さは、そこいらにあるメロンくらいはあるはずなのだ。

しかし、上半身までとはいえ、桶から覗く「ソレ」の大きさはさらに小さく、ついで桶の長さを鑑みれば、下半身が存在しているのかさえわからないと来たものだ。

結果、どう見ても異様。

見目は小学校の低学年くらいだろうか。クリクリとした大きな瞳と、ふっくらとした頬、ちょこん、と桶の縁に置かれた小さな手。どれも非常に愛らしい。
しかしどれもこれもが縮尺を大きく間違っている。「小さい少女」、というよりは「小人の少女」というほうがしっくりくる。つまり、

――彼女も妖怪なのか。

先ほど、絹糸のような感触を与えてきたのは、双方の耳の上、縛られた新緑の色の髪だったらしい。
こちらが触れても嫌がる素振りを見せなかったのは、果して嫌悪のためか羞恥のためか、はてまた驚愕のためか。

むんず、と噤まれた口元、感情を移さない瞳は記憶の中にある人見知りの同級生を彷彿とさせる。
実は恥ずかしがっているだけなのかもしれなかった。

しかし視線がこちらの目元からじっと離れないことを思えば、無言で怒っているのではないか、とも思えてきてしまい。

――こんにちは、と挨拶するべきだろうか・・・・・・?

どう贔屓目にも見ても穏やかではない登場の仕方。下手に刺激すればカブリとやられるかもしれない。
もちろんそんなことを考えている間にも時間は進み。痺れを切らしたのか、はたまた狩猟本能に目覚めたのか、「ゴゴゴ」っというバック音付き(心中)で少女の口が開かれていく。

その第一声は、



「どーも☆キスメちゃんでぇーす☆ いたたた!こらキスメ!噛むな!」



私はそんなキャラではない、とでも言いたいに違いない。
お腹は見えずともご立腹。周知の間柄なのか、わりかし本気で噛み付いている少女――キスメは、ひとしきりヤマメの食感を楽しんだ後(魚ではない)、


「・・・・・・きらい」


そう一言だけ呟き、泣き疲れた幼子のように、スンと鼻を啜った。

あらかわいい。









「・・・・・・やまめ、きらい」
「ごめんよぉ。本当にごめんねぇ~。ほぅら、こっちを向いてくだされ愛しい子よ! 噛んじゃらめぇ!」

騒ぎ。

「・・・・・・あ”ー、なんか今日は謝ってばっかだなぁー、アタシ。」
「そこで素に戻るから駄目なんじゃないかと思います・・・・・・」



水汲み用の桶に入った不可思議な少女、「キスメ」の起こした一連の騒動で茶屋から追い出された一行は、現在、二度と戻れぬとさえ考えていたパルスィの小屋の中で、和気藹々、揚々と智明が提供する天ぷらの山に舌鼓を打っている最中であった。



良くも悪くも人工的な灯りに包まれた『旧都』では判断がつかなかったが、小屋の上に広がった穴から降り注ぐはずの陽光は、すでに暗色の色を強め、夜の帳をゆっくりとひっぱって来ており、日の昇った折に出で、現在は暁。差し引き6時間の行脚ということを思えば、予想以上、町への道のりはそれなりに遠路であったことを伺わせた。

帰途についた頃には夜半の闇と冬場の外気に身を縮こませていた小屋であったが、今では彼等の帰還と共に炊かれた火の粉の舞う囲炉裏の暖に熱せられ、きしきしと子気味のよい音が響かせながら、幾本かの蝋燭と薪から発せられる自然の光に乗せ、大小三つの影を土壁へと愉快に這わせていた。

不明瞭に揺れる蝋燭の明かりといえば、かすかに残る記憶の中、友人と怪談話で盛り上がったときのことを思い出させたが、この夕餉の席に流れる空気は、そんな障子を揺るがし、冷や汗を掻かせる寒寒しい沈黙であるはずもない。

第一に食い気、第二にも食い気。
小屋に満ちる熱気を詳細に語れば、こんな具合だろう。

 
細かいことを気にすれば、「看病される側の人間」と、「する側の人間」の立場が変わってしまっていることに目が向いてしまいそうにもなるが、小屋への帰途に際、ヤマメの華奢な肩をずっと借りてきてしまったことへの罪悪感の解消、そして茶房での休憩を十分に挟んだことで体力の回復が図れたことを考慮に入れれば、あながち不自然な持ち回りではないように思う。
 

もちろん、そんな理屈がまかり通ったからといって、怪我人に料理を作らせることをヤマメが最初から快諾したわけではなかった。
が、本来料理の知識は無いながらも器用に動けるヤマメと、体の大きさから上手く調理器具を扱えない一方で料理の知識が豊富なキスメとが協力し合い、それぞれの長所を用いて炊事をこなすという「彼女等のスタイル」が、現在活用できないことが決め手となったのだった。


「・・・・・・やまめ、きらい」


嫌悪というよりかは幾分明るい感情ながらも、キスメはヘソを曲げたまま。フンっと鼻息荒く、どこから毟り取ったのか「しめじ」束をストレスのはけ口に、思うまま手で引き裂き蹂躙しつつ、薄暗い表情で部屋の隅に力なく「ぶら下がっている」。


その不機嫌の理由として、ヤマメに聞かされた事情は、


1、『旧都』の大路で、智明と思しき男をヤマメが発見。

2、しかし万が一、その男が智明出なかった場合、時間をロスになってしまうのは痛いので、そのまま小屋へ向かう人員と、「それっぽい」男を追跡して声を掛ける人員とに別けて行動することを提案。

3、結果、声を掛けた男が智明であったことから必然、キスメは両名が茶房で言葉を重ねている間、無人の小屋でたった一人。何時間もの間フラフラ揺れつづけるハメになってしまった。

要約すればこんなところだろうか。


言うまでも無く前提からして、どちらかが当りを引き、どちらかが外れを引く作戦である。一度は納得して行動に移しながら、外れを引かされた方といって前提に不満をぶつけるのは、やはり違うだろう、と智明は聞いた当初思ったのだが。


問題の根幹が、キスメが退屈な時間を過ごしている間、


「・・・・・・あんみつ、たべてた」


という事象にあることを知り。「あー、なるほど」思わず、ウンウンと頷いて納得してしまった。
自分が辛い気分を味わっている間、気分的にはのけ者にされた挙句、知らないところでうまいものをたらふく食っていた、というのが許せないらしい。

一方でヤマメは、そんな恨みがましいキスメの視線と、すっかり彼女側に理解を示してしまった智明に焦りながら、

「な、なぁにを言ってるんだ愛しい子よ。
あれは、だな。智明君の慰安と・・・・・・、そう! 休憩を兼ねてだね。親睦を深めるために、こう、なんていうか、仕方なく? 食べてたっていうか・・・・・・」

言い訳を重ねるも。

「・・・・・・やまめのほうが、いっぱいたべてた」
「あっはっは!こりゃあ参った正論だ!」

一刀両断。
ばっさりと説き伏せられ、冷や汗たっぷりに笑い飛ばした後、すごすごと退却。
改めて智明の傍に腰を下ろし、

「聞いてくれ。キスメの好物は、――肉だ」
「腕一本献上しろとか言わないでくださいよ?」



時間なくして仲直りできるわけもなく、きっかけがなければ会話の機会も訪れず。
ついでに言えば、あんみつ一杯では満たしきれなかった智明自身の胃袋事情を鑑みると、立場なんてものに囚われず、作れる人間が作ればよい、という方向で話が落ち着くのが道理というわけである。


――しかし一度厨房を任されたからには、やれねばなるまい!


男智明、料理暦2年未満(暫定)というハンディを埋めるため、用意できるのは素材の味を生かし、かつ簡単なもの。
油でサクっと揚げるだけ、お手軽な天ぷらパーティーのホスト役に就任と相成ったわけであった。




「エビなんていかがですか?」
「・・・・・・」

ご機嫌伺いと親睦を兼ね、ぶら~んと儚げに揺れるキスメに、恐る恐るへとコンタクトを取ろうと、近づいてみる。
出会った当初こそ、桶に入った少女というインパクトに頭が萎えてしまったが、よくよく見れば愛らしい御仁である。

もちろん、どんなに見た目が小さかろうと、それで不遜に扱おうというわけでは断じてない。
が、しかし人間、やっぱりなんだかんだと言って見た目で態度も随分変わってしまうもので。
ほぅらほら、おいしいですよ~。ジリジリと距離を詰めつつ、子供をあやすよう、結局は食べ物でご機嫌伺いをしてしまうのは不可抗力に違いない。

またキスメ自身、馴れ馴れしい態度ながら、一応食べられるものを与えてくれる人間には最低限心を開いてくれているようで、揚げたてのエビを小皿で渡すと、無言で頷いた後、ハフハフと口に運んでくれた。

一方でヤマメはといえば、何度もアプローチを掛けながらも失敗の連続に萎えたのか、早々に説得を諦めて、揚げた茄子と蓮根(れんこん)の山を黙々と崩す作業に従事していた。

しかし時折、ちらり、と智明の行動を盗み見ては、ヒントを得たり、と頷き。

「ほぅれキスメ様~! れんこんですぞ~! おおぅ、それは拙者の指でござるぞ~!」

じゃれ合う(?)二人を尻目に智明自身。ふっくらと炊けた米を己の器も含めて山と盛り、暖かな夕餉に、数日の分の食い気が鎌首を擡(もた)げてくるのに抵抗さぬまま、紫蘇(シソ)とイカを合わせた掻き揚げにかぶりつく。

自分で作る料理というものは、得てして何の驚きもないことが最大のネックだったが、空腹を極めた状態の今では、予想以上に手料理の味は新鮮だった。


しばらく給仕も忘れて夢中になっていると、噛まれた指を水に浸しながら、ヤマメが横合いから声を掛けてきた。

「いやぁ、外の世界っていうのは男も料理ができるんだねぇ。
実はアタシも天ぷらは好物で結構作るんだけど、もう衣がべっちゃべちゃで食えたもんじゃなくてさ。
やっぱりそれなりに良い粉じゃあないと、うまく揚がらないのかね」
「良い粉じゃなくても、油の温度が下がらないように気をつければ大丈夫ですよ。ある程度の知識とコツさえ解かれば、誰にでも出来ますよ」

氷水はなくとも、冬場の井戸水は凍るほどに冷たい。
それを下地にして粗めに小麦粉を溶かすだけでも大分違うことを教えながら、智明は無意識に頭を掻いた。

コツ、などと偉そうに言っているが、結局世の中に氾濫した情報から汲み取っただけの浅いものでしかない。ボロが出ないように、勤めて簡潔に、誰でも出来ることを含めておき、智明はさりげなく話題を変えた。


「それにしても、よくこれだけの量が買えましたね」
「ん? あぁ、なんていったってこの「アイドル」ヤマメちゃん。にこっと微笑めば店も潰れるって噂も立つくらい顔が利くもんだから。思わず頑張っちゃったよ」

まぁ、ちょっと頑張りすぎちゃったけどね。
ぐるり、と小屋の外周、全てに視線を這わせた後で、にやりと不敵な笑みを見せてみる。

――たしかに、これは予想以上だなぁ。

彼等が座す囲炉裏の周辺、囲うように鎮座するのは、現在天ぷらの材料としても使っている、様々な野菜に魚、肉、芋、米。果ては調味料の山、山、山。
それらが織り成す文字通りの「山脈」であった。

購入資金は、言うまでもなく智明がパルスィに貸してもらった手持ちの全額、3円弱をふんだんに使った結果なのだが。もちろんそんな小額で買える規模の量ではないことは誰の目にも瞭然である。

智明のある願いに対し、「手持ちの資金で買えるだけの食料を買ってきてやる」、そう宣言して使いに出たヤマメが、文字通りコネと顔をふんだんに用いて持ち帰った戦果、ということになる。

株のデイトレーダーも真っ青なインフレ振りであった。


しかしなぜ、こんなにも大量の食料品をそもそも買い集めなければならなかったのか、といえば。

木を隠すには森。という概略に集約される。

言ってみれば実に簡単、本来なら「三日前から減っていなければならない」食料が、現在まるまる残ってしまっている状況がまずいのである。

備蓄分から逆算すると、パルスィは智明だけでなく、看病にと呼んだヤマメ、キスメを含めた三人分の消費量をきっちり計上しているはずで、凡そにして20食分、用意されたものが減らずに残ってしまっているわけだ。

これが智明一人の問題ならば、「食欲不振」を言い訳に逃れることもできるだろうが、さすがにここまで大きな齟齬が発生してしまえば、探られたくない腹を探られてしまい、掛けなくて良い心配までも掛けることになりかねない。

そこで考案されたのが、今回の食料品大量購入であった。
後々追加された分量が把握できなければ、残った分量もまた見積もることが不可能、というわけである。

一応の名目は、今まで世話を焼いてくれたパルスィへの「負担にならず」、「趣味を気にしなくてもよく」、「便利」、かつ「後腐れない」感謝の気持ちとして、金銭の次に無駄になりにくいものとして用意したお詫びと感謝を込めた品ということにしてある。

発想としては、旅行のお土産に必要性のないタペストリーを買うよりは、饅頭のような後々に残らないもののほうが良いだろう、という庶民的な考えに近いだろうか。


さすがに魚介類や生肉類を大量に用意してもパルスィが保存に困るだけなので、それらは最低限、2、3日使う分だけに留め、残りの大半を米と調味料、芋などの穀物に比重を置いた買い物をヤマメに頼んだのであった。

正直なところ、保存が利くとはいっても、これでは量が多すぎて本末転倒という気がしないでもないが、その辺りはヤマメの好意への甘受、パルスィの要領の良さに丸投げしてしまっても良いかな、と思う。

まず間違いなく彼女はこの感謝の形に柳眉を潜めて異を示すだろうが、そこは残念、彼女が人の好意を無下に出来ないことを逆手に取らせてもらうとしよう。


「あはは。なかなかに悪どい男だ。
しかしそこまで頭が回るんなら、パルスィが家に隠した方の鍵の置き場もわかったんじゃないかい?」

頭が回る、との過大評価はさておき。智明とてあの餓死の危機に一度も家捜しを画策しなかったわけではない。事実、断食生活を強いられることとなった1日目の夜半辺りには、早々に行動にさえ移していたぐらいであった。

回数にして計三回。

とりあえず「鍵が入っていそう」で、かつ「下着類は間違いなく仕舞われていない」場所から探す、という具体的にすぎる行動の指針のもと、まず本棚に雑誌と一緒くたに仕舞われていた小物入れと思しき木箱を開けてしまい。

「一発で当りを引いちゃったわけだね」
「・・・・・・そういうことです」

驚き、思わず取り零してしまった幾枚もの「布」を核爆弾のスイッチでも扱うように丁寧な手付きで迅速に箱へと戻し、頭の中で自分の顔を4万回ほど殴ってから、今度は「絶対に下着の入ってなさそうな場所」として部屋の隅に置かれた工具箱に手を掛け、

「また?」
「・・・・・・そういうことです」

嫌だ嫌だと言いつつも、結局二度も的中させてしまう己が真性の変態であるからではないだろうか、と割かし本気で頭を悩ませながら、「最後の勝負だ」と、今度は本命である鏡台の引出しに手を掛け、

「今度は何が入ってたんだい?」
「言えません」
「下着?」
「言いません。――って、ちょっと鏡台をあけようとしないでください!!」

行動力のある人間というのはこういう意味で性質が悪い。思わず、ヤマメの膨らんだスカートの端を慌てて掴んで引き止める。

「えー?」

母親に怒られた子供のように、ヤマメは不満顔。しかしやはり本気で開けようとはしていなかったらしく、智明の静止に応じてあっさり元の位置に座ると「じゃあ、さっぱりしたモノ頂戴」と要求。
 
「大根の和え物でいいですか?」
「いいね!」

野菜用と魚介用に別けた木目の俎(まないた)の一つで、それなりの手際のよさで大根を細長く切り、冷水に付けから刻んだ茗荷とイカの併せて、薬味として挽いてあったゴマに酢と砂糖、醤油、少量の油を入れて即席のドレッシングを作って更に和えたものの上、鰹節ともみ海苔を適量乗せてから器に盛り、完成させる。

「水抜きをしてないんで、なるべく早く食べちゃってください」

言葉を聞き終わるまでもなく、すさまじい勢いで貪り始めたヤマメはさておき、遠くでボンヤリとこちらを見ているキスメにも同様に皿を渡して、智明自身は入れたお茶を一啜りした。

マリマリと、大根を噛み砕き。小皿とはいえ、大根の3分の1を使ったサラダを見る間に間食したヤマメは、その姿を見るなり、何かを思い出した風に笑って言う。

「似てるね」
「誰にですか?」
「パルスィ」

――似ている? どこがだろうか。

言葉に出さず、あくまで表情からその疑問を読み取ったヤマメは、ことり、と器を床に置き、

「考え方だよ。君、パルスィが人に絶対見られたくないものを無意識にとはいえ立て続けに当てたんだろう?
それも「絶対にこんな場所に隠されていないだろうなぁ」っていう考え方で。つまり君の中の想像と、パルスィの想像がばっちりかみ合っている証拠じゃないか」

正論に聞こえる暴論だが、慌てて否定するのも変な話だな、と思い。智明が黙っていると。何がおかしかったのか、ヤマメはこちらの顔を見るなり、ニンマリと口を弓なりにした。

「そうそう。その顔もそっくりなんだよねぇ。不満があるんだけど、すぐに反論しちゃうと相手のペースに巻き込まれたみたいで嫌、っていうね。あ、これは直接アイツから聞いた言葉。
愛想の良さと面倒見の良さには大分開きはあるのに、根っこの部分が同じだっていうのは面白いと思わないかい?」

なんとなく、智明はそのセリフの中、言葉では伝えられていない裏のニュアンスがあることを感じ取っていた。
表面は違うが内心が同じ。
となればパルスィが抱える「存在理由」が、智明のソレとかかわってきているとでも暗に言うのだろうか。

「・・・・・・」

疑問はいろいろと浮かんだが、あまり深く聞き出したい部類の話でもなく、やむなく話題の転向を計った。

「パルスィさんのこと、よく知っているんですね」
「そりゃあもう。あの子の産み親より長く顔を会わせてるんだ。それでわからない方が変だろう? 智明君だってちょっとは勘付いてるはずさ」
「勘付く・・・・・・?」
「アタシが「ヤマメ」。あの子は「キスメ」。そんでもってアイツは「パルスィ」だ。一応の表記も全部片仮名。似通ってるだろう?
言うまでもなく、アタシが適当付けてた偽名なのさ」


――はっきり言うと、これ本名じゃないのよね。簡単に言うと、著者のペンネームみたいなものかしら。


自分の名前の由来をパルスィはそう言った。
つまり最初にその偽名を考えた人物こそが、このヤマメということになる。

「地上から地下へ。ようこそ第二の人生へ! っていう景気付け代わりの選別みたいなものかね。どれだけ長くいっしょにいたのか、大体わかるだろう?」

名前を得るということ。新しい人生。
ここではなく、日の当る場所で、パルスィはいったいどんな名前を持ち、どんな生活を送っていたのだろうか。

「・・・・・・やっぱり今のパルスィさんと、昔のパルスィさんは違いましたか?」
「いやいや。あのきっつい言動も、暗~い雰囲気も元々あんな感じだよ。アタシは名前と住処と環境を与えただけで、別に一から育てたわけじゃあないからね」

それに、と。ようやく腹が満たされたのか、ふっくらとしたスカートの上を、ペンペンと手の平で叩く、気の抜けるジャスチャーで、

「それに娘っ子。せっかく付けてあげた名前も、仕舞いには妙な形に改変しやがってさあ。「なんで変えたの?」って聞いてみて仰天だよ。アイツはどうにも自虐の固まりで出来ているらしい」

春。水。女。

ヤマメは心なし寂しそうに語りながら、三つの単語を溜まり水で床に描いた。

「春の水の女。それで「ハスメ」。我ながら風流な名前だと思ってつけてやった結果が「パルスィ」だ。わかるかい? ――「春」と「水」、そこから「女」を抜いて、春水。「はるすい」ってことさ。どうにもあいつは女扱い、・・・・・・いや男女っていう括りそのものが凄まじく嫌ならしい」
 「ハスメ」
 
 女扱いが嫌で、名前から女を抜く。
 その理屈は実に線が通っているようで、やや異質な印象を智明に与えた。
 たしかに彼女の性格は、人間大の言葉を当てはめてしまえば「男勝り」な人柄ではあるのだろう、しかし智明が短い間とはいえ、じっと見つめてきた彼女の所作や言動は、女性を捨てた荒々しさなど微塵も感じさせないものであったと思う。


――まだ、足りない気がする・・・・・・。


春水で「はるすい」。しかしそれはまだ「パルスィ」という名に到る経緯の全てではない。そんな風になぜか思えた。

「ま、昔語りはこんなもんかね。キスメもそろそろ眠たそうだし、アイツのことをもっと理解したいっていうなら直接聞くといいさ」

答えてくれるとは思えないけどね。とやっぱり意地悪く笑うヤマメに、

「そうですね」

相槌を打ちながら。

心の中。彼女から話を聞こうとする覚悟を持つというのならば、それは自分の取り戻した過去を代価して用いるべきだろうと、智明は思っていた。

そして、今。彼女についている「嘘」も、正面から打ち明けなければならない。

願わくば懺悔は対等に。そして「二度と言い訳もできないほどに」正面から相対するのだ。


――怖いな。


日常使っている、社会人から見れば失笑ものの敬語も、一見して謙虚な薄っぺらい所作も、「全ては相手と正面から向き合わないための知恵」だ。
相手の目を見て、自分の思っていること、相手の思っていること。全てを総動員してぶつけ合う。


世の中に、これだけ恐ろしいことが、いったいどこにあるというのだろうか。


待っているだけで訪れる餓死の恐怖より、最後にあけたパンドラの箱の中身を恐れて手を引いた己に、果してその覚悟はあるのか、否か。

「キスメ、そろそろ休もう」
「・・・・・・うん」

そろそろ宴もたけなわだろう。
ゆっくりと、小屋を覆う生気が、眠気と怠惰に代わっていく寂しさを肌で感じながら、よいせと、立ち上がり。智明はちらかした調理道具と食器を集め始めた。

その折、あれだけ険悪になっていながらも、眠気のためかすっかり心を許しているキスメと、それを何も言わずに受けいれるヤマメ。そんな二人をどこか遠い場所で見つめている気分を味わいながら、

「怖いな」

霧よりも薄く、その場の大気よりも流動的に。

智明が呟いた言葉が、宙に解け、――消えた。







酸化した油の匂いと、ほんのり僅かに酒気の香る室内に、智明が洗い物を終えて帰ってきた頃には、すっかり辺りは静かになっていた。

見れば部屋の中央、智明の寝ていた布団には丸まるようにして眠るヤマメがいて、そしてその上を陣取るようにキスメの入っている(と思う)桶が、風と炊かれた炎に揺られるようにゆらり、ゆらりと動いている。

本来ならばパルスィのよう、智明と一夜を共にすることを嫌がって欲しかったのが本音であったが、襲う気もないのに「男の部屋に泊まるのは危ないですよ」などと言う訳にもいかず、結局寝酒と称して日本酒を一瓶空けた格好のまま、健やかに寝入るのを阻止することはできなかった。

――危ないですよっと。

完全に酒瓶を抱き枕にしてしまっているヤマメから、ゆっくりと酒瓶を抜いてみると。強く体重を掛けすぎたせいか、その側面には一筋の亀裂が走っていた。

腕にあったものを抜き取られ、やや不満顔のヤマメに、そろりと座布団を丸めて渡し、一件落着。

「少し寒いな」

改めて囲炉裏側に引いたゴザに腰を落ち着けて、智明は外周に詰まれた調味料の山といっしょに買ってきた薪を、新しく一本くべた。

パルスィが言うには、今は春に向かって最後の寒気が地底には覆っているのだという。極端に植物や景観に乏しい地底において、季節とは即ち気温そのもの。

この時期に見られるという、残留した思念から生まれた人魂が、季節や風流を汲み、仲間を多数使役することで降雪に似た現象も、運が悪ければもう見られないかもしれない、と彼女は少し寂しそうに言っていたのを、ふと智明は思い出した。


チャプ。チャプ、と。かすかに聞こえる水の音。
それに反して虫の声はまったくなく。遠くの方で、かすかに匂い立つ喧騒の雰囲気だけがよりどころとなる寂しい夜も、今日は静かな寝息が二つ追加され、幾分以上に和やかである。

本来ならば、『旧都』への行脚で疲れた体をしっかりと休めるべきところなのだろうが、智明はなぜか、この空気を長く味わっていたいと、今は思っていた。


ここの生活も、恐らく長くない、と今更ながらに実感していたせいもある。

一日後か、一週間後か。遠くはないだろう。そしてこの世界から脱し、己は再び排気ガスと、喧騒、ネオンに彩られた文化的な世界へとゆっくり身を横たえていくことになるのだろう。

しかし実を言うと、智明はそんな俗っぽい「外の世界」があまり嫌いではなかった。

宵闇に恐れ、おいそれと出歩くこともままならない世界より。ケバケバしくとも明るく、行こうと思えば世界の裏側にだっていくことのできる文明を、素直に凄いと思っているからだった。

唯一苦手なのは、アスファルトに蒸し殺されるような夏の暑さくらいである。

この地底は、この幻想郷の夏は。いったいどうなのだろうか。
ふとそう思って、苦笑いし。

――寝よう。

昼間肩にひっかけていた上着を掛け布団の変わりにと、脱ごうとした時だった。

「―――」

ヤマメがこちらを、じいっと見つめていることに気がついた。

その目は夜にもなぜか爛々とした輝きを放っているように見えて、思わず智明は恐れから後じさりそうになってしまった。

しかし、その視線が、やや迷いや悩みを孕んだ、人間らしい温かみをもったものであることに気がついて、ようやく声が口から出てきた。

「起こしてしまいましたか」
「うん、ちょっとね」

恐らくは酒瓶を抜き取ったときだろうとは思う。しかしならば、なぜ今になって智明に訴えかけるような視線を送ってきたのだろうか。

「一つ、・・・・・・いや二つだけ。世闇に紛れて戯言を言いたくなってね」
「戯言・・・・・・?」

戯れるという言う割に、昼間のひょうひょうとした態度は、なぜかすっかりナリを潜めていて、その顔、改めて炎に映える美貌にはどこか冷ややかな印象が張り付いている。

「昼間のこと、覚えているかい? 君の言った「失踪」のことさ」
「ええ、まあ・・・・・・・」

忘れるわけがないが、忘れさせて欲しいというのが切なる願望である。

しかし何かと思えばそんなことかと。正直に智明は思った。
こんな夜中に、真面目な顔でヤマメはこちらを三度からかっているだけなのだろう。
だが、次の言葉で、その印象ががらりと変わった。

「実は君の想像。あながち妄想だけとは言い切れない部分があると、今更ながらに思ってね」
「妄想じゃ、ない?」

なんていうかな。
そう言葉を濁しながらも、ヤマメは口を止めなかった。

「君の知る新聞の記事は随分前のものだ、っていうことは言ったよね。
たぶん小屋の傍に落ちていたのは、パルスィが天狗の落とした新聞を家の前で読んですぐに放ったためだろう。
基本的にあいつは、穴から落とされた大量の新聞を、必ず一部だけ抜いて、朝早く『旧都』に投げ捨てにくるんだ。
これが何を意味するかわかるかい?」

溜め、

「簡単だよ。パルスィはその記事を発端にして「用事」が出来たんだよ」
「どういうことですか?」

そう返しながらも、智明にとて、ヤマメがおおまかに言いたいことはわかっていた。

パルスィは几帳面である。

まず間違いなく、新聞を読んで、すぐにその場に放るようなポイ捨てまがいの真似をすることは考えにくい。
そして、何より喧嘩別れした友人を突然呼び出し、「貸しがあるだろう」と強く迫ってまで自身の用事を優先するなんてことも、今にして思えば、あまりにも考え辛いことのように思えた。

「アタシはこれから憶測でものを喋る。質問は禁止。ただ聞いてくれ
後日の新聞で、殺された妖怪たちは共通して「夜間」に殺害されていることがおおまかにわかっている。事件が起きたのは割かし最近で、私が調べた限り、最も新しい事件は「三日前の夜」に起こっているんだ」

愉快なことではないのだろう。ヤマメの眉間にはややきつく、線が入っている。

「用事がある、と君の約束を反故してまでどこかに出かけなければならない理由。それが「そこ」に全く関係していないとは、アタシは思えない」

彼女は断言しないが、つまるところ。


――パルスィが犯人だとでも、言うのだろうか。



「・・・・・・」

当人さえ知らずのうち、眇められていく智明の目線に、しかしヤマメは違う違うというように手を振った。


「アイツは常に殺気だっちゃいるが、中途半端な諍いなんか起こさないよ。もしも「ヤル」なら死体の一つだってこれみよがしに残しゃあしないだろうしね。
問題は、そんなパルスィの性を理解しているのがアタシ、キスメ、勇儀、ついでに言うと君の「四人しかいない」ってことなんだよ」
「じゃあ」

ああ。とヤマメは頷き。

「君という見も知らない相手を、普段からは予想も付かない手厚さで保護していることが回りには理解できないらしい。ついで、普段の言いたいことをズバズバ言っちまうあの性格に容姿。更にアイツの「妖怪の性質」ってもんまで見事に絡まっちまって、地底のあちこちから不満と疑念の声が挙ってしまったってわけさ。それで駄目押しに」


――どこかへ焦って出て行く姿を目撃され、その日の内にまた事件が起きた。


パルスィを知る人間ならば、いくらでも理屈を立てて彼女ではないと言えるだろう。
しかしそれが、表面を準(なぞら)えただけの大多数の人物が見ればどうなるのか。想像がつかないわけではない。

「手前味噌だが、アタシも地底じゃ顔が効くし、勇儀の姐さんは実権と実力を持った重鎮でね。その辺で反感を持ってる雑念や妖怪に手出しなんかさせやしない。
だけどね。私らも地霊殿の妖怪にまで手を出せないんだ」

心読み、原初の恐怖を冠する力を持った「さとり」妖怪が座す屋敷。
それは、

「地底の住人が単なる嫌われ者だとするならば、地霊殿はその中でも極めつけの「異端」派閥だ。
地上から追われた妖怪を受け入れこそすれ、なぜか実権は握ろうとせず、やること全てを完全に無視。
挙句、普段は何をしているのかと思えば、とうの昔の放置された「炉」に火をくべて、からくり人形みたいに何十年も罪人の魂を焼き続けているときたもんだ。
おまけに配下は神を食らって力を付けた奴がいるっていうんで、武力抗争もお手のもの。黙ってくれている間は不気味なだけで済むんだけどね。一度暴れ出されたら始末に終えない、文字通り、目の上のコブってわけだ」

長く喋ったためか、ペロリと唇を舐めて湿らせた後、一呼吸置いて、ヤマメはようやくフニャっと相貌を崩した。

与えられた情報を吟味することに腐心しすぎて、言葉を失う智明を、どこか安心させるようにニヤリと笑いかけ。


「まぁまぁ。そう深刻にならなくてもいい話だよ。前にも言ったろう? 妖怪同士の潰しあいはここじゃあ御法度なんだ。
智明君にはパルスィと地霊殿に行く際には、なるべく周りに注意して欲しいなぁってことを言いたかっただけなんだ、不安させたなら謝るよ」

智明は妖怪ではない。
また地底という世界を掌握する派閥同士の争いに入っていける度胸も力も頭脳も、ない。

それを全て理解し、わかっているからこそヤマメは最初にただ「聞いてくれ」とだけ前置いたのだ。
つまり何も出来ないことは承知のうえで、それでも関係者として情報を与えてくれたことになる。それははたして彼女のやさしさか、それとも「同情」か。判断はつかない。

だからこそ、彼女の要求に、コクリ、と。そう頷くだけで智明には精一杯。
深い入りすることも、関係がないときっぱり断ることも、できなかった。


しかしヤマメは智明のそんな態度にでさえ満足したらしい、

「予想以上に長話になちゃったね。アタシはそろそろ本当に寝かせてもらおうかね」


そう言って、欠伸を噛んで目を瞑り、



「おっと、言い忘れるところだった。


――今、「アイツ」が帰ってきてるよ」


重大なことを、さもなんでもないことのようにサラリとのたまった。









「・・・・・・」


パルスィは、ひたすら穏やかに揺れる水面を、ただじっと見つめていた。

門出橋の欄干に行儀悪く腰を掛け、ぷらぷらと足を揺らすたび、靴の踵(かかと)が石橋を叩く音が闇に響く。

その様子は、手持ち無沙汰な幼子ようにも見えるし、見えた風景を慈しむ高齢の僧侶にも見えた。

怜悧な黄金の輝きに、墨を一滴。
高貴なエメラルドの輝きに、人血を一滴。

横顔から伺える、負の要素を孕んだ髪と目の色を含め、彼女を包む雰囲気は、頭上からかすかに漏れる月光を反射し、最上の領域にまで上り詰めた禁忌を匂わせた。


だからこそ。
こうして、ヤマメから伝えられた言葉を聞き、すぐに小屋を飛び出した智明は、既に数分もの間。どのような言葉を掛けるべきか、いや、そもそも声を掛ける必要があったのかどうかにまで考えを及ばせた挙句、欄干の端に頂かれた彫像のように屹立したままの状態を維持せざるを得なくなっていた。

トン。トン。
と、彼女の靴が奏でるリズムが心臓の鼓動のように聞こえ始める。


しばらくぶりに見た彼女は、やはり近寄り難い雰囲気で、世界を呪い殺そうとしているのではないかと思うほど不機嫌な双眸の下には、なぜか隈のような陰りが見えた。

ピンと張った歯型の耳朶もどこか力なく下がっていて、顔色も心なし悪い。
水を吸ったように緩やかなカーブを描いていた髪の毛も、今はどこかパサついて見えた。


まさしく焦燥を体現するその姿に、智明はふと、ヤマメの言っていた懸念を過ぎらせ、慌てて打ち消す。

 彼女の姿が、まるで逃走中の囚人に見えたなど、口が裂けても言うわけにいくまい。


ふるふると邪念を追い出すように頭を振り、気合を入れなおす。

――とにかく、一声掛けないと。

気分としては、十年ぶりにあった同級生に声を掛けるのに似ているのかもしれない。
他所他所しく挨拶するには、交流が深く。馴れ馴れしく声を掛けるには遠い。

物理的な距離こそ10メートル程度。しかし一言を発するまでに掛かった時間は、それを100度走破するよりも長い時間が掛かった。


「パルスィさん」


その言葉に。ぴくりと肩を揺らし、驚いたようにパルスィがこちらを向いた。

「起きてたの?イズミ」

突然出現した智明に驚いたらしく、出された声はどこかおっかなびっくり、掠れていて。会話をすること事態が久々というような雰囲気が、どこか滲みでていた。

心情を言えば、いろいろと聞きたいこと。話したいことが山ほどあるのだ。
が、智明はそのあまりに疲労を蓄積した声に、自戒を決め、勤めて「ただ看病を受けていただけの人間」を装って、口を開く。

「少し疲れてますか?」
「まぁね。・・・・・そういうアンタは、随分痩せたじゃない?
どーせあの馬鹿が何かやらかしたんでしょうけど。お互い無事で何よりね」

あの馬鹿とは、ヤマメのことなのだろうが、あんまりといえばあんまりな言い草であった。とても名づけ親に対して語る口調ではない。

しかしその辛辣な口調は、本当に久しぶりにかみ締めた「彼女らしさ」で、聞かされた内容の如何に問わず、顔が緩んでしまった。


「いきなりニヤニヤして何よ。気持ち悪い。話が無いなら早く小屋に戻って寝てなさいよ。あの女の鼾(いびき)が五月蝿いなら、さつまいもでも口に詰めたらいいわ」


そう一方的に捲くし立てると、用は済んだとばかりにパルスィは欄干から飛び降り、『旧都』の方角に向けて、さっさと歩き出してしまう。

「明日は「ちゃんと」私が迎えに行くから、昼前には出かける準備をしておいてね」
「え、あ、はい」


皮肉を交えて、連絡事項を伝えるだけの簡素な会話もまた、実に彼女らしい。

パルスィにとってはたかが三日ぽっち。顔を見せなかっただけのことなのだから。この会話に特段の思い入れがないことは明白で、そこに異議を挟めないことを含めて、智明にもそれは理解できていた。

言うまでもないことだが、勝手に死にかけて、暴走した男の顛末は、当然智明自身にしかわからないのだ。


しかし、それでもなんとなく、この呆気ない態度と会話に「なぜか」焦りを覚えた智明が、何とか引きとめようと口をパクパクさせ、しかし何も出てこないことに焦りを覚える最中、


ふと思い出したようにパルスィは振り返り。
一言。



「ただいま」



そう言って、余計なこと言ってしまった、とばかりに、ほんの少しだけ恥ずかしそうに顔を背け、歩き去っていく。


その後。


考えるべきこと。
やるべきこと。
聞くべきこと。
そして決断するべきこと。


それら全てが、どうしてか頭から一気に吹き飛んでしまい。
結果、しばらく間眠れぬ時間を過ごすハメになった。





若いっていいねぇ。




クスクス、と。
横合いからヤマメの笑い声が聞こえたような気もしたが、これにはもちろん無視を決め込んだ。






◆ 







というわけで、今回はここまでとなります。

読んでいただければわかりますよう、第二章の前編だけで、今までのプロローグ、第一章「前」「後」編全てをまとめたような文章量になってしまってしまいました。

内容としては、

1、「旧都の描写」

2、「旧都で頻繁に起こる停電」

3、「ヤマメ、キスメとの出会い」

4、「彼女等との親睦、牽いては交友関係の拡大」

5、「ヤマメとパルスィの関係(また、春水女という名前について)」

6、「智明の嘘と、鏡台に眠るパンドラの箱とは」

7、「パルスィに掛けられた嫌疑と、幻想郷を騒がす「妖怪殺し」事件について」

8、「地霊殿の風評、及び一般的な見地」

9、「パルスィの帰還。その折に見せた疲労具合」


これら9つの要素が混じっていることで、全く動きのない文章でありながら、ウダウダと長く続いてしまいました。簡単に概要を説明すればこの前編は「伏線回」ということになるのかもしれません。


文章量としては、十分「第二章」としてまとめるに相応しいものなのですが、いかんせん盛り上がりに欠ける内容のため、予定通り後編の「地霊殿訪問編」を封入して、第二章という体裁を取らせていただくことになりました。



さて次回は返り咲いたヒロイン春水さんと、筆者念願の「さとり」「お燐」「お空」の活躍となります。



中でも「さとり」については個人的に描きたいことが山ほどあるので、はてして二章はどこまで長くなるのやら・・・・・・・。次回もお付き合いいただければ幸いです。


今回も天ぷらだけに書き上げることばかりを念頭に執筆したため、誤字脱字が非常に多いと思われますが、平にご容赦を。

一月ごとに掲載する、と口約しておきながら守ることができなかった点についても謝罪するほかありません。
本当に申し訳ありませんでした。
スポンサーサイト
*
○2011/06/18○
これから毎日、肉を焼こうぜな食生活か……うらやま。ざく切りキャベツと鳥の胸肉をカツオだしで煮込めば立派な一品ですね。天ぷらと言えばサクサクの衣が命。レンコンのサクサク感と合わさった蓮の天ぷらは絶品ですよ?大根に人参あたりを加えてナマスにすれば彩り鮮やかで良い感じかな。

……腹減ったなぁ。

鬼だと思ってたらスパイダーマッ!の方か。パルスィの名付け親というのは面白い設定だと思う。

○○○を被ってクンクンペロペロ!……したんですね?わかりました。イビキがウルサイなら種芋を捻じ込めばいいじゃない。鏡台の中には河童製電動こけし人形が!とか。

夜のテンションは最高だな!どこぞからモルダー…とか言われそうだけど。
[ 編集 ]
○2011/06/19○
返信送れて申し訳ない。毎回毎回、しっかり感想書いてくれてありがとう!

> これから毎日、肉を焼こうぜな食生活か……うらやま。ざく切りキャベツと鳥の胸肉をカツオだしで煮込めば立派な一品ですね。天ぷらと言えばサクサクの衣が命。レンコンのサクサク感と合わさった蓮の天ぷらは絶品ですよ?大根に人参あたりを加えてナマスにすれば彩り鮮やかで良い感じかな。
>
> ……腹減ったなぁ。

自分でも思ったんだけど、昔の人って映画やカラオケ、外食、ゲームなんていう現代での定番暇つぶしが存在しないから、基本的に何かを食べながら、ダラダラ喋るのが基本みたいな考えが根本にあったりします。

なので東方守命魂ではかなーりの場面何かをモシャモシャ食べている場面になっていてちょっと新鮮さが欲しいなぁ~と悩む毎日。
機会があれば縁日だとか、花火だとか、そういった昔ながらの風物詩を織り込みたいなと思いつつも、地底はもうすぐ春という塩梅・・・・・・。

地底の文明人たる小五ロリ先生にはそう言う意味では、洋風趣味をここぞとばかりにごり押ししたいところ。紅茶とクッキーに匂いが香る地獄のかまど。おーう、また食べ物か・・・・・・。


> 鬼だと思ってたらスパイダーマッ!の方か。パルスィの名付け親というのは面白い設定だと思う。


実は初めて東方地霊殿をやったときから「ヤマメ」「キスメ」「パルスィ」の名前の連続には疑問をもっていて、実はその内の一人が、残り二人の名づけ親ではないか、と考えたのが元ネタです。

水橋パルスィをwikiで調べた人ならば勿論「パルスィ」という名前がどんなネタなのかがわかってしまっていると思いますが、今回はそこへの解釈の橋渡しとなる部分になっているので、あしからず。水橋だけにね!(失笑)

ヤマメのキャラクターは個人的にすごく悩んだ部分で、実は最初は無口な姉御肌だったり、智明に色仕掛けを仕掛ける色気キャラだったりと二転三転、最終的には「自分が道化とわかっていながらも、賑やかし役に徹する姉御」という複雑怪奇な性根を持つ人になってしまいました。
読んでいるとわかると思いますが、部分部分で会話の印象が変わってくるのがその難産の証です。


> ○○○を被ってクンクンペロペロ!……したんですね?わかりました。イビキがウルサイなら種芋を捻じ込めばいいじゃない。鏡台の中には河童製電動こけし人形が!とか。


ウィンウィン動くあれですか・・・・・・。
無くは無いな!(ありません)
ややネタバレになりますが、今作のパルスィは「男」「女」という概念をこれ以上ないほどに憎んでいる御仁なので、性的な方面への免疫はほとんどなかったりします。願望ですが、もうこれ以上ないほどに純情で純粋な彼女を書きたいです。(気持ち悪い)


> 夜のテンションは最高だな!どこぞからモルダー…とか言われそうだけど。

貴方疲れてるのよ・・・・・・。Xファイルは殺人ゴキブリの回で嫌気が指して視聴中止しました。
深夜テンション、わかります。
基本的にSSの執筆は夜半になるので、妙にテンションが上がった末、自分で書いたものが恐ろしすぎて、次の日直視できないことがままあったり。

今も直視できない? あはは、ご冗談を・・・・・・
[ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL


twitter
ブログに対する掲示板の役割を兼ねておりますので、出来うる限りこちらにも目を通していただけるとありがたいです。

フォローしてくださるお方は「esplia」と検索して頂くと簡単に見つけられると思います。


espliaの生態


esplia

Author:esplia


【読書中小説】
神様のいない日曜日
幕末魔法士
KAGUYA~月の兎の銀の箱舟~
文学少女と死にたがりの道化
中の下!
曲矢さんのエア彼氏


【プレイ中(&予定)ゲーム】
黄昏のシンセミア
elona
グリザイアの果実
はつゆきさくら【済】
穢翼のユースティア【済】


【鑑賞中音楽】
嘆きの音
Dead End
borderland
少年よ我にかえれ
ノルエル
灰色の水曜日


【オススメゲーム】
FLYABLE HEART
永遠のアセリア(なるかな含)
遥かに仰ぎ、麗しの
装甲悪鬼村正
Fate stay night(hollow含)
てのひらを、たいように
月光のカルネヴァーレ
君の名残は静かに揺れて
BALDRシリーズ(戯画)
ひぐらしのなく頃にシリーズ
うみねこのなく頃にシリーズ
東方シリーズ(SLG、文、WS含)
夜明け前より瑠璃色な
CROSS†CHANNEL
リトルバスターズ!
CLANNAD
STEINS;GATE


恒久的に不定期更新ですが、
よろしくお願いします。

週一更新005


当ブログはリンクフリーです。
こちらから打診した場合は了承があるまでリンクには追加いたしません。

ブログ内検索
ブロとも申請フォーム
メールフォーム
相互リンクの申請は、
「ブロとも申請フォーム」
または、
ここにお願いします。

名前:
メール:
件名:
本文:



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。