espliaのちょっとだけ時代遅れ。

生むは雑感、生きるは過去、ちょっと遅れた感想中心ブログ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
*
スポンサー広告 ○ Trackback:- ● Comment:-○

東方SS 『東方守命魂』 第一章 「一滴の水」前編

前回のプロローグに続き、この度は第一章(前編)を掲載させていただきました。

前回同様「東方project」について全く知識の無い方はもちろん、出来の悪い小説に嫌悪感を覚える方。単純に長文を読みたくない方も、続きをクリックしない方がよろしいかと存じます。



そこまで注意を受けて、なお読もうとするツワモノの貴方は、↓をクリックして続きを出してください。


ちなみに以前の内容を忘れてしまったかたはこちら

『東方守命魂』プロローグ

からどうぞ。




※する人がいないことは十分わかっておりますが、無断での転載、及びコピー&ペーストはご自重ください。



以下より本編






冷たい川底に背をつけ、流れる水の速さにただ身を浸していると、夜に瞬く美しい星の瞬きさえ、真っ黒に濁って見えた。


名をつけられ、悲恋しかり、恋慕しかり、頭をよぎる空想の世界を駆け回る。かつてこれ以上ないほどに愛した、純粋な感動に満ちる神々の物語さえ、今は雑音に似た煩わしさが与えられるばかり。

皮膚を鉋(かんな)で削られるような冷え切った水の流れは、胎(はら)に渦巻く穢れを禊ぐばかりか、ひたすらに猛々しさだけを浮き彫りにし、増長させていく。

――あいつが憎い。

ふいに、見開いた目の端から、熱い雫が落ち、食いしばられた歯の隙間から、くぐもった嗚咽がもれた。

――憎い。

呼吸が浅く、速くなり。焼けるような熱気に視界がボヤけた。


押さえよう。


そう必死に感情をなだめようとすればするほど。逆撫でされた幸福の記憶が、ボロボロと少女の頬を伝っていく。

もう、たまらなかった。

ここはあまりに、寒かった。

ひっ、と喉が鳴り。冷えた頬を、紛れも無い哀しみの涙が伝い落ち、濃紺の河が悲哀の感情、一色へと染められていく。

胸中を席巻するのは、あまりにも、「あまりにも惨めったらしい」自分。それを憂い、嘆く、心の叫び。
 

私はなぜ、こんなにも馬鹿げた真似をしているのだろう。
私はなぜ、こんなにも悲しい末路しか望めなかったのだろう。




生涯、唯一好いた君を想う事。


どうして、許されなかったのでしょう。










第一章「一滴の水」




◆ 1


カクン。
と、重力に引かれて頭が床に落ちかけた所で、パルスィはその違和感に目を醒ました。

「・・・・・・、あ?」

途端、寝覚めによくある、妙な不安と焦燥が彼女を包む。

――ここ、どこだっけ。

それは無意識。
パルスィは、恐らく自身でさえ気付かぬほどの自然さで、肩を自らの腕で抱き、撫でながら、妙にぼんやりと曇った頭と視界を限界まで活動させ、現状の確認に費やした。

辺りが暗い。それが第一印象だった。

そしてそれが――地底という世界において――当り前のことだと気付くまでに、更に十秒ほどの時間をかけて再確認して後、ゆっくりと自分の座っている場所を改めて見回した。

今にも擦り切れ、朽ち果てる寸前のゴザがしかれた小汚い一間。
そして嗅ぎなれた、数多漂う生活臭に満ちるそこは、我ながら「乙女の部屋」などという芳しい響きに真っ向から宣戦布告した、我が家に間違いなかった。

ここに水は、流れない。

――いけない。寝てたわ。

辺りが完全に闇に覆われていないことから、小屋の頭上にある大穴の光は、いまだ途絶えていないことになる。
それを加味して、今が黄昏時だろうとあたりをつけた。

パルスィは床で冷えた尻をゆっくりと持ち上げ、「冷たい」と色気なく摩りながら立ち上がった。長く凝り固まっていた筋肉と関節が少し痛んだ。
そのまま小屋の隅に鎮座した、枯木を使った足跡の戸棚の上、そこに置かれた青銅のカンテラの「ほや」を開け、新聞紙と共に詰め込んだマッチの一本に火をつけ、油壷から伸びた灯芯(とうしん)に押し付ける。
途端、炎の持つ柔らかな灯りが、暗闇に塗りつぶされかけていた部屋を明るく映し出した。

闇の祓われた小屋は、何もかもが今朝と同じ。
寝癖を直すために用意した桶も、読み終わって積み上げられた古本の束も、乱雑に積まれた衣類も、忙しさから片付けられることなく隅に追いやられ、寂しそうにポツンと佇んでいる。

ただ一つ。炎に彩られた世界に浮かんだ、恥ずかしいくらいに薄っぺらい布団、そしてそこに横たわる人間、たった一人を除いて。

 


水死体と勝手に当りをつけたパルスィの予測は間違いだったが、時間の経過を視野にいえて考えると、それもあながち間違いとも言えなかった。
迂遠な予測の的中に喜ぶべきか、悲しむべきか、その判断はつきそうにもない。

何にせよ、厄介ごとであることは間違いなかった。


水死体(もどき)の人間、――その若い男は、とかく出血が酷かった。
動脈か静脈か、医術の「い」の字もわからない素人目に判断しかねたが、どこかの太い血管が切れたのだと、それくらいには理解が及ぶほどに、と言えばわかってもらえるだろうか。
おまけに長く水に浸っていた傷口から凝固することなく、水中に血液が大放出されていたことも手伝って、おおよそ「貧血」などという単語が生ぬるく感じられる状態であったとも思う。

「ひどい傷・・・・・・」

中でもパルスィの目を引いたのは、股関節付近の内側、腿(もも)の裏から、表まで、一直線に付き通された刺傷(ししょう)と思しき外傷だった。
ふと興味本位に、「反対側を覗けるかな」、と覗いてしまい、空気に触れ、酸化して固まり始めた血液。そしてそれに塗れた人間の脂肪と筋肉の断面、おまけに薄黄色のネバネバとした血しょうが溢れ出る様を、これでもか、とばかりに網膜に焼き付けるハメになった。

不覚にも、もの凄い勢いで海老反ってしまった。

止血のため、――あと視覚保護のため――腿の付け根あたりから、煮沸し、消毒液代わりの日本酒を染み込ませた布といっしょに包帯を巻いた後、傷口を心臓より高い位置に固定するため、古本の上に予備の毛布を巻いて固定したものを用意した上で、敷いておいた布団に男を寝かせた。

絞った手ぬぐいで、気休め程度にその青白い顔に浮かぶ多くの擦過傷や切り傷を水で清め機械的に拭っていく。徐々に見える湖水の水気と滲む血が拭い取られ、奇麗になった顔は、パルスィが一度目に抱いた印象よりも若く、そして青白く見えた。

「・・・・・・」

パルスィは、ほのかに赤くなった井戸水が揺れる桶に、絞った手拭いの水気を滴り落とす。そして、さて、次に何をするべきかと、ふと考え、――その場で、深く溜め息をついた。

止血をし、傷口を清め、寝床を用意し、飲んだ水も吐かせた。
しかしできるのはそこまでだ。
失われた血液をこんな小屋で補給できるわけもなく、元来ならば急いで運ぶべきであろう「診療所」は、この地下において存在さえしない。

――手詰まり、か。

手持ち無沙汰に、両手で絞った手ぬぐいを弄びつつ、パルスィは痒くもない頭を、コリ、っと掻き。そして思う。

彼女の施した「最低限」の治療が男の命を繋ぐ保証は、はっきりいってどこにもない。
目の前の「彼」の生死は、明日の天気が晴れか雨か。農作物が枯れるか、枯れないか。まさに神のみぞ知る領域にまで昇華してしまっているのだ。
血が出れば拭い、汗を掻けば体だって拭いもやろう。

それでも、「命」の根底の部分に、これ以上関わる術と決心を、彼女が持つことはできなかった。

パルスィは絞った手ぬぐいを桶の縁に掛け、改めて、男を見た。
年のころは十七、八だろうか。いまだ在学生と言われても信じてしまいそうなその幼い顔は、血の気を失って灰色に濁っているように見えた。

「悪いわね」

それはあるいは、こんな場所に落ちてきた人間の不運を。またはパルスィの持つ力の不足を。生を望む人間を死なせてしまうことを。運命を天にまかせてしまう愚を、謝罪する。


男の傍から離れ、渇いた土壁に背を預けると、途端に睡魔が襲い掛かってきた。
もとより寝不足の体で、大の男を一人抱え、数時間ほど治療に集中していたためか、少しばかり体が疲れていた。

戸口から漏れる陽光に目をやり、

――少し、眠ろう。

パルスィはゆっくりと目を閉じると、睡魔に大半を奪われた思考の欠片を弄びながら、眠りに落ちていくつかの間の遊びに興じていく。


私は果して、男を「看る」のか、「看取る」のか。
そんな言葉遊びを思いついた後、彼女は意識を薄暗闇に押し込んでいった。





意識を失っていたのは、それから4,5時間というところだろうか。
 
カンテラに照らされた部屋の中央。そこに寝付いた男が行き着いた運命を確認するため、パルスィはゆっくり男の傍に歩きより、腰を落とした。
そして佇む薄い敷物、そしてそこに賭けられた白地の掛け布団が、呼吸に合わせてゆっくりと上下する様を確認すると、パルスィはゆっくりと目を細めた。

念のため、口元に指を置くと、ゆっくりとした生ぬるい呼気が指先に触れた。どう見ても、生きている。
ついでに鼻と口を塞いでやると、苦しそうにもがき出した。

――いい反応。

さすがに可哀相なので手を離してやると同時、パルスィの中に、面倒な気持ちと、安堵した気持ちが同時に生まれた。

もちろん安堵したのは、この男が死ななかったことに対してだ。せっかくの新居に凝った残留思念や念縛霊に取り付かれては大いに困る。

だが、その対となる面倒な気持ちの方は、口に出すにはいささか複雑な形をもち、パルスィの胸中に堅いシコリなって、その存在をアピールしていた。

彼女の思慮の先、その根底にある懸念は、

――この男。どうして「こんな場所」で死にかけている・・・・・・?

すでに役目を終えたとしても、ここは忌み嫌われた者達が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する地獄のかまど。
そんな場所に単身で訪れた人間に、間違っても正当な理由などありはしない。
それはあの日、地霊殿で起こった事件に駆けつけた、人間と呼ぶにはおこがましい二人にしても同じことだ。
どうにも「まとも」ではない。ただの湖で溺れるのこととは訳が違う。

しかし、「ではそんな場所で溺れてしまいそうな奇怪な人物か」、と問われれば、それもやはり首を傾げざるをえない、というのが現状の認識だった。

一応、身にまとう衣類はパルスィの見識から離れたやや奇怪なものでこそあったが、その顔立ちや漆黒の髪は、地上に存在する「里」の人間とどう見ても変わらないように思えた。
また地下という特性から比較的安易な考えとして、「見目だけを人型にした妖怪」である可能性もあるにはあったが、それでは怪我の直りが遅すぎる、という別の疑問をつくることになってしまった。


人間とは違い、己の「存在理由」という不確かなものを動力として生きる妖怪にとって寿命や怪我などが直接的な死因となることは必然、なりがたい。
またその性質上、体に損耗がなくとも「退屈」という理由で死に到るケースならば腐るほど見てきたが、瀕死の重傷を負い、それこそ生死を長く彷徨う妖怪など、パルスィは一度も見たことが無かった。

さらに言えばある賢人が、起こる諍(いさか)いに対し、双方血を流さぬ計らいとして、「呪符制度」(スペルカードルール)という無血での決闘方法を制定してから以降、長く生傷をこさえる争いは控えられてきた。
時に、外界からやってきた「新参者」の一部に、作法を知らぬ阿呆が混じることもあるにはあったが、幻想郷の管理を司る者達がその鎮圧に動かぬ道理がない。
そしてそれは、太ももに大穴を明け、溺死に追い込むような回りくどく、また「生ぬるい」ものであるはずがなかった。

パルスィはこめかみに指を当て、軽く叩きながら、思考をまとめる。

――この男はほぼ間違いなく人間だと思う。で、わざわざこんな場所に落ちてきたのは、・どうしてかしら? んー、安易だけど、自殺? それとも誰かに投げ込まれた?

間欠泉の性質上、地上と地下を繋ぐ穴がどれほど深かろうと、その形状は常に縦長であり、終着点には水面が用意される。

もしも誰かの手によって男が地下に投げ込まれたと考えると、せっかく深手を負わせた相手を、生死を確かめられない場所に落とすという不可解な行動の有為性を考えなければならず、いまいち現実的とは言い難たかった。

その点で言えば、もう一方の自殺という線にしても、湖底という緩衝材があることを思えば、わざわざ致死率を低くする意義が薄いことに変わりは無いように思われた。

しかし、パルスィはそこでとある一つの仮説に及ぶことで思考を的確に固めていった。
それは、

――大穴と地下世界が繋がっていること、・・・・・いえ、「地下世界なんてものを最初から知らなかった」人間がいたとしたら・・・・・・。

幻想郷の発展のため、外界からたった一人連れて来られた人間がいるという風の噂を耳にしたことがあった。と、パルスィは淡い記憶の縁に佇むように思い出していた。

その内容こそ、一部の賢者たちによって外界から隔絶された幻想郷という世界に、新しい情報と刺激を与える目的だとも、単なる娯楽だとも、「生活基盤の穴」を埋める人員だとも、その実、境界に近づいた故にただ迷い込んだものだとも、言われ、ひどく曖昧にこそ語られてはいたが、その妥当性に完全な出任せとは断じられなかった。

幻想郷に縁のない人間が、何かしらの理由によって底の知れない穴に飛び込んだ。

論旨はかなり甘いが、一応の結論に達したことで導かれた事実に、パルスィはいまさらながら絶え難い気だるさと戦きを禁じえなかった。

――こいつが外界の人間なら。間違いなく「あの女」も一枚噛んでいるわね。

何にせよ、これからの指針を決めるには眼前で穏やかに眠る人間の言葉が必要なように思えた。男が望むのは果して生か死か、はたは逃亡か存命か。それは不明だ。しかし、これ以上踏み入った行動に出るにはやはり動機が、欲しい。

眼下、穏やかに眠る男に半目をむける。

――無理やり起こしてやろうかしら。

思うなり、再び鼻と口を塞ごうと身を乗り出したパルスィだったが、数時間まえより血の気が良くなったとはいえ、あまりにもか細い寝息を立てて眠る男に手を出す罪悪感にはやはり勝てず、結局やれやれ、と呟いて手を引いた。

そして、赤くなった水の入った桶を小脇に抱えて立ち上がり、戸口へと向かった。男が起きるまで、もう少し時間潰しをしておこう、と思い立っての行動だった。

「夕飯は二人分必要かな」

そうだ。
水を汲むついで、今朝思い立ったように白菜を収穫するのも悪くない。さすがに保存食を作っている暇はないから、夕食の調理に使う分だけを刈っておこう。

そう算段をつけながら、パルスィは紫色に近くなった暁の光に満ちはじめた外界へ、一人の男を家に残し、一歩を踏み出した。

吹き付ける甘い風の中に、どこか悲しさを感じるほの暗い色が感じられた。

まもなく夜がやってくる。

覆ることの無い世界の理に、パルスィは一つ、苛立たしげに舌打ちを放った。




◆ 2




 私が彼女に引き付けられた理由。
 それを一言で断じてしまえば、恥ずかしいことに同情と優越感以外の何者でもなかった。うん、ごめん。二言だ。

そしてこの事実は、今でこそ笑い話になってはいても、当時、酷く彼女を冒涜している気分にさせられた。


 誰一人友人を作ることなく、一人アレルギー体質を理由に持参した小さな弁当箱から、焦げた玉子焼きを摘んで咀嚼する寂しそうな姿。
 他者に向けた汚いものを見るような目の奥、垣間見える自虐の色。
 山ほどの書籍に埋もれ。読みふける、というよりは膨大な時間を単純にすり潰しているかのようなページをめくる激しい手付き。
それは果して、本を読んでいるのか、読まれているのか、その目的と手段を曖昧にしているようにさえ見えたのだ。


きっと彼女は教室という社会に孤独を求めていながらも、誰より気安く話せる友人を欲しがっているのだろう。多くの友人を持ち、携帯電話のアドレス帳の登録件数こそが世界の全てだと思っていた若造の私が、僅かに綻んだ思い込みは、その時には絶対の真理に思えた。

食事をし、睡眠を取り、笑い、怒り、恥ずかしがり、私達と同じ道徳教育受けた、この「平凡極まる一人の少女」は、小説によくいる他者を顧みず、自己のアイデンティティを確率させた傍若無人なヒロインなどではない。
きっと風呂に入れば「あぁー」と年寄り臭い溜め息を吐いて、首をごりごり鳴らすのだろう。間違いなく。

それにも関わらず、こうして少女に課せられる、この普通ではない咎の重さに、私は心の底に煮えるような憤りを覚えた。そしてその衝動は、己の平穏な学校生活がどこまで変わってしまおうとも構わないと覚悟を決めるまでに到ったのである。

「実に憐れで可哀相な彼女」を、私が飛び切り格好の良いセリフで颯爽と救い出す。そんな妄想が夜半のまどろみの中から、昼間に顔を覗かせるまで、そう時間は掛からなかった。

「同好会を作らないか」
 
 自己紹介もなく、きっと私をクラスメイトだとも思わなかったであろう彼女に、そう声を掛けた時の胸の高鳴りといったら、それはもう凄まじかった。

 彼女のしかめられた顔におわす、整えられた眉は一途に「険」の一文字を刻む様を観察しながら、計らず、十年来の恋人との再会を描いたように、見詰め合ってしまった。

奇麗に磨かれ、足元で潰された紅色の染色を施されたバレエシューズで何時踏みつけられても構わないよう、あえて腰溜めに語りかけるこちらのへっぴり腰は、ぶっちゃけ今思えば不審者を通り越して異常者一歩寸前ではなかろうか、とも思う。どうでもいい。

しかし、そんな決死の覚悟で望んだこちらに投げかけられた言葉の残酷さは筆舌に尽くし難い。

「嫌」

たった一言だった。今度は本当に。一言だけだった。

それだけで、私の妄想の中で9割9分9厘を誇ったシミュレートがあっけなく瓦解した。

惨めで哀れで可哀相なのは、果して少女か私か。
後日、「女に告白して振られた憐れな男」としてのレッテルが貼られ、チンケなプライドまでもズタズタにされた私は日にして四日。不登校に陥ったことは言うまでも無い。

――やめて欲しいな。

自分で思い出しておいてなんだが、この時のことを深く考えると、いろいろと再起不能になりそうだったので都合よく思考の屑籠に放りこむことで手打ちにしようと思った。
本当ならば二度と出てこないように蓋をした上で、漬け石も乗せておきたいところだが。

気がつけば、心地よいまどろみの暗闇の中で、かつての己を眺める今の自分がいることに気がついた。
この感覚には覚えがあった。

目が醒める、前触れだ。


 出来うるならば起きたとき、この記憶が奇麗さっぱり消えてくれますように。
急速にうねり始めた視界に意識が飲み込まれていく感覚を味わい、どこか開放感に似た安堵を心中にたゆたせながら、和泉智明は覚醒の一歩を踏み出した。





「ぐ」

ひき潰した蛙のような声がパルスィの小屋に響いたのは、あたりがすっかり闇に包まれた頃であった。

簡潔に状況を説明すると。
片手にやや錆の目立つ鎌を持ち、赤子を抱えるような体制で慎重に白菜を運んでいたパルスィが、胡乱な瞳でこちらを眺める男に気付き、驚き、鎌を落としそうになって、あわてて持ち直し、今度はバランスの崩れた白菜を支えようとして取り落とし、運悪く男の股間あたりに不時着させてしまったのだ。

「あらやだ」


白菜を拾い上げながら、見ようによっては非常に不遜に、外周の葉、男の股間に落ちたあたりを埃でも払うように叩きながら、パルスィはしばし悩む。
すぐにでも目を覚ますであろう予測は立てていたが、覚醒した後、どのように話を聞くべきか考えていなかった。

――えーっと。やっぱり最初は名前かしら? それともいきなり目的から聞いてしまうか? 

数秒。白菜片手にうろうろし始めたパルスィに注がれる視線に羞恥を感じ、「そうね、これはここに置いておいて・・・・・・」囲炉裏の傍。灰が付着しない位置に鎌と白菜をしっかりと据えた上で、男の傍に改めて座りなおした。
その間、こちらの動きを追って動く黒い双眸が、男の覚醒を如実に語っていた。

「呼吸はどう? 苦しくない?」

とりあえず喉をついて出たパルスィの事務的な質問に、なぜか呆気に取られたように沈黙した男の返答はない。遠くを見つめるような胡乱な視線は、まるで形のない雲を何かに見立てようとするような、どこかぼんやりとしたものだった。

――金髪の女がそんなに珍しいのかしら。

幻想郷とは、簡潔に言えば常識と非常識の混濁してしまった世界だ。
妖怪。人。額から角の飛び出したガサツな鬼に空を飛ぶ暴力巫女、果ては核融合する元カラス。
それらが我が物顔で生活を営むここで、「ナリ」の異様さは結局二の次でしかない。
それは、男と同じただの人間。人間の里に住まう者達でさえ例外ではない。
しかし、外界からやってきた人間ならば、我々をどう思い、認識するのだろうか。

改めて、パルスィは己の体や顔に、意識を這わせる。

金色の髪、緑色の瞳、そして葉形にやや尖った耳朶。

その異国めいた様相は、たしかに彼のよく知る「日本人像」とはかなり赴きが違うものだ。そして恐らくそれに物珍しさを感じながら、同時に怪訝にも思っている。
沈黙の原因はそこにあると、パルスィはとりあえずの結論出し、

――このまま見詰め合っていてもどうしようもないな。

とりあえず緊張をほぐすことを念頭に、言葉を掛けつづけることにした。

「何? 私の顔になにかついてる?」

初対面。それも久しぶりの人間相手にどういった態度で接するべきか。少しの時間思い悩んだが、どうせいつかは知られる本性だということで、愛想も猫も遠ざけ、普段どおり不機嫌そうな声を出したわけだが。

「え? あ・・・・・・、特に何も・・・・・・ないです」

声色を変えた効果の程は芳しくなかった。
相変わらずこちらの顔を凝視しながらも、パルスィではない何者かを見つめるような透明な視線は動かないままだ。おまけに口からこぼれ、申し訳程度に紡がれた言葉は、条件反射としか言い様の無い無意味さを匂わせていた。

「・・・・・・」
「・・・・・・」

 場を支配する、なんともいえない沈黙の味に、パルスィは切れた。

「あ、特に何も、じゃないでしょう? おいこらこっち向け。起きろ!寝ぼけてんじゃない!」

傷口にだけは触れないよう、顎を掴み、それなりの力で左右に振ってやると、ようやく視線が「パルスィそのもの」に向けられた。

そして男はようやく己の今ある状況、そして状態に気付いたようだった。
自身の寝ている布団を見下ろし、ついで、見覚えの無い山小屋のような狭い空間を見回し、モゾモゾと、恐らくは体に走る痛みを確認し、何かの疑問を口に出そうとして、失敗する。


ここはどこか。お前は誰か。どうして怪我を負っているのか。今の時間は。
 
 
恐らくはそういった山積した疑問が凝り固まって、小さな口から外に吐き出せずにいるのだろう。それぐらいに、彼を巡る状況は不可解で、不可思議だった。
そしてそれは同時にパルスィの抱く疑念や懸念にも共通している。

「いろいろ聞きたいこともあるだろうけど、まずはこっちの質問に答えなさい。良い?」

男はやはり声が出ないのか、たどたどしく首を縦に振ることで同意を伝えた。今更ながら言葉は十分通じているらしい。
――さぁーて、何から聞こうかしらねぇ・・・・・・。

「名前は?」
「い・・・イズミ、トモアキ、と申します」

ようやく真っ当な意味を含んだ男の声色は、大量に水を飲んだためか掠れていて、どこか年老いた印象を持つ語感があったが、その奥底には容姿に似通ってかなり幼い印象がある。

また表面上は敬語を使っているが、年長者に対しての敬いが口をついて出ている、というわけではなく、「そうして話すこと慣れている」。つまりは処世術としての印象が強い。

――目上の人間と頻繁に声を掛け合う場所に長くいる若輩の典型ね。職場か学校か。何にせよ真っ当な教育は受けていそう。

「了解よイズミ。年齢は?」
「・・・・・・18、だったと思います。すいません、あまり確信がないです。」

社会に出た人間は、学校のような季節のイベントに参加させられる機会が少なく、季節感が薄れることによって年齢が曖昧になりがちだ、という話は良く聞くが、

――18歳・・・。 えーと確か、外では小等学校が六年周期で12だから・・・、中等学校を越えて、・・・・・・高等学校生ということかしら。

実家を継ぐにはやや若く、大学へ進学、ということは可能性の低さから度外視しても、就職口を探すために右往左往している年齢ではあるわけだ。18歳という、少年から青年へと移行していく時期は何かと印象的な出来事もおおいはずで、そう安易に忘れてしまう時期とも考え難い。

しかしこの程度の違和感でせっかく漕ぎ付けた質疑の時間をすり減らすのももったいないので、パルスィは違和感を飲み込んだまま。言葉を紡いでいく。

「なるほど、18歳「かも」しれないのね。了解。次は、そうね・・・・・・実家はどこにあるの?」
「チバのヨウロウです」

年齢さえ曖昧な人間にしてはやけに明瞭な返答にパルスィはやや面を食らった。

――嘘をついているようには見えないし、記憶障害も考えたけど的外れだったかしら。

チバのヨウロウ。はっきりいえばまるで見当のつかない名前(地名か?)だったが、少なくとも幻想郷内のどこかを指すものではなかった。
パルスィの予測したとおり、この男――イズミはやはり外部から連れてこられた可能性が高い。
となれば、当然関わってくる一人の妖怪との関連が浮き上がってくる。

「了解。それじゃあ、八雲紫という名前に聞き覚えは?」
「ヤクモユカリ・・・・・・さん、ですか? ええと。たぶん知らないと、思います」

疲れてきたのか、少し気だるそうに話すイズミに焦りを覚えつつ、

「じゃあ幻想郷、という地名に聞き覚えは?」
「ゲンソー・・・・・・? ええと、ないと思います。・・・・・・すいません。漠然としたことばかりで」

記憶が混濁し、現状もわからないまま質問攻めにあっている状況では、やはり大半が「思う」という確実性に欠ける返答しか期待できないのはパルスィも理解していた。

 「気にしなくていいわ。辛そうだから今回は早めに切り上げましょう。そうね、あと二つだけ質問に答えて頂戴」

 イズミが首肯したのを確認し、

 「一つ。貴方は妖怪に出会ったことがある?」
「・・・・・・妖怪っていうと、あの、唐傘お化けとか、ネコマタとかの、妖怪ですか?」
「そうよ。で? 出会ったことあるの? ないの? どっち」
「それはまぁ、ありません。一応、本の中でなら見たことはありますけれど」

残念ですが、既に貴方は妖怪と会話しています。
そう言って驚かせるのも楽しそうだったが、場を悪戯に混乱させるだけで有為性なさそうだったので、自粛しておく。
誘惑を胃の腑に納めたまま、最後の質問をパルスィは頭の中に練り上げていく。

それは勤めてさりげなく。
偶然思いついたような気軽さを装って。パルスィは問うた。

「最後の質問よ。――助かってうれしかった?」
「・・・・・・」


質問の意図にか、はたまた唐突な行動への不審か。智明の目が一瞬だけ驚きに染まったようにパルスィには見えた。
しかし、

「当り前じゃないですか」

苦笑を零してのつたない言葉。しかし確かに違和感無く、智明はパルスィの問いに「頷いた」のだ。この意味をパルスィは頭の済みに追いやりながら、ようやく進展を見せた事態の流動性に思いを馳せる。

「そうね。これで質問は終わり。
今何か食べるものを用意するから、それまで寝ていなさい」


立ち上がったパルスィに何を思ったのか、体を起こそうとして失敗したイズミを半ば無理やり布団に押し込み、「さて」と、パルスィは囲炉裏の傍に放置されたままであった白菜を手に取り、土に汚れた外葉を二三枚千切った。

「あの、その、・・・・・・お構いなく・・・・・・」

この男。何を言い出すのかと思えば。

「なぁーにが、「お構いなく」よ。構われたくないなら怪我なんてするんじゃない。溺れるんじゃない。
こっちは既に、存分に、お構いしまくってんのに、今更何を遠慮しようっての?
それに、」

パルスィは男の足の付け根、――そこに存在する大きな刺傷を指差し、

「そんな「凄いもの」を見せられた恨みは深いわよ。よくも乙女の目にグロテスクなものを曝してくれたわね」

イズミは指摘された部分、正確には足の付け根に存在する「ソレ」に改めて思いを馳せたのか、羞恥に頬を赤らめた。そして小さな声で、


「・・・・・・あまり思い出さないで頂けると」


何を思ったのか、己の「股間」を手で隠しはじめた男の頬に、パルスィは無言で拳をねじりこんだ。



 

 「ふーふーして食べさせてあげようかしら?」
 「遠慮しておきます」
 
 そんな意地悪くも、どこか暖かい会話をしながらの夕食を終えた後、食器を洗いに出たパルスィを見送った智明は、布団にくるまりながら、ついさきほどのこと、――時間にして数十分前ぐらいのことを思い出していた。

あの後、徐々に鈍痛を催す傷口の熱さに打ち負け、結局眠ることができない智明に、金髪の少女、――水橋パルスィと名乗った彼女は、くつくつと泡が立ち、よく煮えた鍋を焦げ付かないようにかき回しながら、様々なことを話してくれた。





「パルスィなんて名前、珍しいでしょ?」

板で隠された床の下に建造された氷室(現代でいうところの冷蔵庫のようなものらしい)から取り出した、凍ったイノシシの肉の塊を鍋に豪快にぶち込み、解けた傍から菜ばしで徹底的に分解しながらの言葉に、智明は頷きを返した。

「はっきり言うと、これ本名じゃないのよね。簡単に言うと、著者のペンネームみたいなものかしら」
「偽名、ということですか?」
「ん~。まぁ、間違ってはいないけど、心情的には否定したいわね。以前名乗ってた本名は、随分前に捨てちゃったから。「水橋パルスィ」っていう名前の役割は偽者であっても、今は本名のように思ってるわけだし」

本当にどうでもよいことのように、あっさりした口調を崩さないパルスィに、智明はどこか恐怖に似た異質さを覚えていた。
名を捨てる、ということが一体どのような結末の果てに行われたことなのか。ただ親からつけられた名前を当然のように受け入れてきた智明に想像がつくわけもない。
それでも、それが決して愉快な物語の末路ではないことくらいには思考が働いた。
無闇に探ってよいものでもない。と、智明はあえて沈黙を選んだ。

「まぁ好きに呼びなさいよ。本名じゃないから、下の名前で呼ばれても気にしないし。ちなみに私はアンタをイズミって呼ぶからね」

彼女の明け透けな性格上。てっきり何の気負いもなく下の名前で、呼ばれるのだろうと漠然と思っていただけに、その提案には多少なり驚きを禁じえなかった。
しかしよくよく考えれば、気が強くても開いては同年代の少女である。
出合って間もない上、不審極まりない男を名前で呼ぶことに、抵抗感を感じないわけがなかった。

そう思って納得しかけたところにパルスィの声が重なる。

「イズミで三文字。トモアキで四文字。三文字のほうが短いからね」

自意識過剰な思い込みが恥ずかしくなるくらい、とんでもなく短絡的な理由だった。

「それに湖で溺れた奴の名前が「泉」なんて傑作じゃない?」
「・・・・・・」

 こちらに顔を向け、ふん、と鼻を一つ鳴らし、お世辞にも上品とは言い難い笑みを口元に浮かべる姿に、智明はどこか野性的な力強さ同時、言いようの無い恐怖感を覚えてしまう一方。言葉の一つ一つに、見目以上の経験や重厚感を漂わせるパルスィが時折見せる、こういった稚気は、こちらの心に、大きな安堵与えてくれているような、そんな錯覚もあった。
言葉そのものこそ、実に辛辣極まりないが(ここが重要)、そんな言葉をぶつけても微塵も揺らがない信頼や親睦を、暴言という形でもって改めて指でなぞっているような気にさせられるのだ。
それはどこか懐かしい衝動だった。

しかし、

「名前は思い出せても、どうして溺れたのかはわからない、ねぇ」

パルスィによれば、ここは普通の交通手段で訪れることなど適わない、未開の地だということだった。
無論、その言葉を聞いた傍から受け入れるほど、智明は単純ではない。

しかし、数分前、パルスィに説明してもらった、知識だけは持っていながらも実物など見たこともない「氷室」をはじめ、この小屋のそのものの古めかしさに調度品の珍しさ。加えて、人の話し声一つ聞こえないあたりの静けさと、何よりこの家の照明器具が夏場のキャンプでしか使わないようなガスランタンたった一つしかない事実が、外を出歩けない体の智明に、それが真実であることを訴えていた。

井戸水を汲みに何度も部屋を出て行ったことから、水道も、そして恐らく電気やガスさえも、ここには通っていないのだろう。

お世辞にも都会とはいえない場所に住んでいた智明でさえ、毎日風呂に入り、テレビを見て笑い、暖かい寝床で眠っていた。それが変わらない日常であったし、普遍であった。
それが悪かったとは思わない。日本という経済大国において、齎されるべくして齎された文化を享受することは、智明ごとき一般家庭では半ば義務のように与えられたものだからだ。来る大災害に備え、日々断食の予行演習をするものなど居はしない

ただ、一日一度を風呂はおろか、うっかり寝過ごせば暗闇で一晩を過ごすことになる生活を送りながら、たった一人で家事の全てを賄い、こうして陰気極まりない病人の看護までこなしてしまうパルスィは、尊崇というには足りないほど、智明には強く、輝いて見えた。

できるなら、パルスィからの問いかけには全てに誠実な解答を用意したいとも思う。
それでも、こんな未開の地にどのような手段でやってきたのかを、ついぞ智明には思い出せなかった。

「一時的な記憶喪失って奴かしらね?」
「はい。恐らくそうだとは思うんですけど・・・・・・」

簡潔に言えば、智明にパルスィの説明する僻地に来た記憶はない。
しかし問題は、それがやけにはっきりとした「喪失」であることにあった。

「こんな場所にやってくる予定があったのか、なかったのか。それはわかりません。
それなのになぜか、高校に通っていた時のことや、かつての自分のことだけは、やけにはっきりと覚えているんですよ。
友人の名前も、担任の教師も、家族構成も、自分の名前や趣味、入っていた部活動の内容まで、何一つ忘れていないんです」

記憶喪失というものが、一般的にどういったものを指すのかはわからない。しかしこうも明確に覚えていることと覚えていないことが細分化されている状況が、奇妙に思えてならなかった。

「なるほど・・・・・・。たしかに珍妙といえば珍妙ねぇ・・・・・・。
つまり、ここにやってきた動機と道程だけが、落丁みたいに「すっぽ抜けている」わけか。
あ、味噌入れちゃうけど、嫌?」

智明の上半身くらいはありそうな、「珍味」と大きく書かれた壷から、茶色の物体を木製のお玉で掻き出していたパルスィが顔を上げた。

「いえ、問題ありません・・・・・」

お願いですから真面目に聞いてください。などと強制することもできず。智明は反射的に無難な解答を吐き出した。


ちなみに料理を作る人ならば理解してもらえるだろうが、作った料理の味にたいして「どうでもいい」と答えられるのは、やはり癪に障るものがある。なので智明は、基本的にそのような問いかけには蕁麻疹(じんましん)が出るほど苦手な食品で無い限り、反射的に「問題ない」、と答えるようにしていた。


ちゃかちゃかと音を立て、パルスィが菜ばしで、お玉に掬った味噌を徐々に鍋に溶かしていくと、途端、小屋の中に心地の良い臭いが広がっていく。
やや甘味が強く、昇りたつ麹の濃厚な臭いは、智明の知る化学調味料を混ぜた紛い物の味噌とは一線を画していることがわかった。
智明は調理を邪魔する引け目から、先ほどの話を蒸し返すことはせず、そのまま柔らかな布団と、汗ばんできた手足の感触に、無言で身を委ねた。

その時だった。
定期的に、パチパチと爆ぜる薪の健やかな音に混じり、ビリ、っと紙を破る音が智明の耳朶を打った。

「さっきから気になっていたんですが。それはいったい何を破いているんですか?」
「うん? これ?」

こちらに見えるよう、掲げられた手の中に納められていたのは古めかしい包装がなされた一冊の本だった。

「『新訳、舌きり雀』・・・・・・?」
「ここはほら、地て・・・・・・僻地だって説明したでしょう? 春間近の今みたいな時期になると渇いた薪は来年のための貴重な燃料だから。買ってきてつまらなかった本だけを変わりに焼いてるの」

家が小さいから、無駄な本を置いておくスペースもないし。とパルスィはまた一枚。紙片を炎に投じた。

聞けばパルスィは暇さえあれば小説を読む、かなりの読書家のようであった。

「別に文学の趣を味わうなんて雅な理由じゃないわよ。
例えばさっき見せた氷室に、この小屋を一から建てたときの土台。その造り方でしょ。後はアンタの怪我の応急処置なんかも、全部本で読んだ知識をそのまま転用してたって訳」

パルスィの目的はあくまで実用段階に必要な知識の吸収なのだという。
そのため、暇つぶしをかねた娯楽小説の類が、小屋に唯一存在する書架に残されることはほとんどないらしい。
ちなみに、その『新訳、舌きり雀』の内容は、

「雀の宿を探すため、尿やら血液やら飲まされた祖父さんがトチ狂ってマゾに目覚める話よ」

この世から一刻も早くなくなるべきものであった。
ふと、筆者のドス黒い念に犯され、一文字一文字に染み付いた瘴気が煮えた鍋に入っているような気がして、そっと智明は視線を囲炉裏の方角から引き剥がした。

これが俗言う現実逃避である。





もちろん、その後に出来上がった鍋物は、濃い目にしっかりと味付けがされていて、危惧していた薪の如何に問わず、とても美味かった。長く寝ていたせいか、体中の水分などすっかり出し尽くした後だと思っていたにも関わらず、ほんの少しだけ涙が出そうになるくらい、それは智明にとって大きな感動だったのだ。


――あんなに美味しいものを食べたの、久しぶりだったな。


記憶のない智明にとって、その「久しぶり」がどのくらいの期間であるかは、もちろん未だにわからない。


あるとき、パルスィに言われて改めて気付いたことだが。衣服を脱がされた己の体は脂肪と筋肉の大部分を失い、いつのまにか枝のように細く、また布のように薄く、なってしまっていたのだ。
当然思い出せる限り、智明が自身を知る頃から思えば、豹変とさえ言える、恐ろしいまでの衰え方だった。

断食していたのでなければ、ここまで体重が落ちるのに最低数ヶ月はかかるはず。とはパルスィの言葉で、それはつまり、智明の記憶が一朝一夕の間に消えたのではないことを暗示していたことになる。

アルバイトを優先させるため、運動部にこそ入ってはいなかったが、毎日自転車で通学していた智明の足は、同世代の中でも見劣りはしない程度に鍛えられていた、・・・・・・はずだったにも関わらず、だ。

それが今はどうだろう。皮と骨で取り合えず「足っぽい造詣」を保っているだけではないか。
年を重ねるたびに、どんどん大きくなっていった靴のサイズに感じた喜びは、いったい何時の間に途切れてしまったのだろう。

それは、いまひとつ現実の深刻さを認識しきれていなかった智明の胸に、その時深く突き刺さった。


「だから」、だろうか。
食事の席でパルスィがもっぱら話題にしたのは、深刻な今の話ではなく、智明が思い出せる記憶と、その限界点についてばかりだった。





「男のくせにうじうじしているんじゃないわよ。ほら。しっかり食べて」

体の変調に打ちのめされ。己の足をぼうっと眺めていた智明の頭を引っぱたき、上品さの欠片も無い肉と野菜で形成された山が盛られた器を押し付けながら、パルスィは教台に立った教師のように手に持ったオタマをくるくると回した。

「良い? 記憶ってものは頭の中にいくつものグループを作って保存されているものなの。単純に記憶喪失って言葉で括られていても、その全部が一遍に消えてなくることはありえないわ」

口を動かしながらも、手が止まらないところがパルスィの恐ろしいところだ。
デフォルメされた桜と梅が描かれた白い椀、恐らくは彼女自身の器に智明に盛った以上の肉と野菜を放り込み、ガツガツと口に押し込み。
そして猛烈な勢いで咀嚼しながら、

「アンタの場合もそう。痴呆症みたいに脳の体積そのものが小さくなったり、神経系に異常があって生態信号が行き詰まってるわけでもなそうだから、間違いなく、ただの一時的なショック性健忘よ」

金髪の少女が、胡坐をかきながら豪快に食べ進んでいく姿は実に異様だったが。それは下品さを取っ払った、彼女の豪快さだけを浮き彫りにしているようで、見ていてどこか胸の躍る光景に思えた。

しかしその一方で、肝心の会話の内容は、専門用語が多く、申し訳の無いことに大半は理解に足るものではなかった。しかし素直に「もう一度詳しくお願いします」というのもなんだか恥ずかしく。結局何も言い出せなくなる。

恐らく計5杯目のおかわりを器に盛り込んだパルスィが、そんな智明を見かねたように再び口を開き、

「わからないなら、わからないって自己申告しなさい」
「す、すいません・・・・・・よくわかりませんでした。簡潔に言うと、私の記憶は直にでも戻るのでしょうか?」

希望を込めた質問は、しかし。

「はっきりとはわかんないわ」

素気無く一蹴のもとに伏されたが、パルスィのその言有無を言わせぬ言葉の強さと、鋭さは、どことなく寄る辺としての力に満ちているように智明には感じられた。

「ただ。思い出に所々穴が開いたり、自分のことを何一つ覚えていなかったりする通常の記憶喪失とは違って、アンタは「ある一定の区間」だけが抜け落ちている状態なの。これはアンタも理解しているでしょう?
で、一時性のショック健忘っていうのはつまり、精神が絶えられないほどの衝撃がくわえられたとき、それが身体に悪影響を及ぼす前に脳が情報を能動的に消してしまうことを言うのよ」

さすがに同じ味に飽きたのか、盛り始めた6杯目に薬味と思しき小瓶を振りながら、パルスィはさらに言葉を継いでいく。

「そのショックっていうのが、太ももに穴が開いたときか、溺れて死にそうになったときか、それ以前に誰かに頭でも殴られたときか、それはわからないけどね。その「抜け落ちた部分」が、今のアンタの状況に繋がっていることは間違いないでしょ」

もしもパルスィの言うよう、何らかの強い精神的な負荷要因で脳が記憶を捨てたというのならば。それを思い出すことは、果して喜ばしいことのなのだろうか。

声に出ない、そんな疑問を。しかしパルスィは的確に見抜いていたようで、

「そんな干物寸前の体になるまでに最低数ヶ月。その間にどんな事が起こったのか、考えるだけでも怖いんでしょうけど。こればっかりは戻ってきてから悩むなり発狂するなり、整理するべき問題よ。
どうせ気合で記憶が戻らない確証も、気合を入れて記憶が戻る保証もないんだから」
「発狂って、そんな・・・・・・」

平凡な家庭に生まれ、平凡な人生に生きてきた男に、いったいどんな災厄が降りかかったというのだろうか。そんな覚えも、自覚も、ありはしないというのに。

「ある日突然大金持ちに。ある日突然英雄に。ある日突然理想の彼女が。
なんて話、そこらじゅう幾らでも転がってるわよ。くだらない。
アンタがどれだけ人畜無害を貫いて生きていたってね、来るときは来るのよ。「そういう時」が」
 「・・・・・・」
 「あーもー、さっきからイチイチ人の話に一喜一憂しないの。ほら、まだまだ山ほどあるんだからしっかり食べなさい」
 「・・・・・・はい」

 暗くなった雰囲気を気にしたのか、しばらくこちらの出方を伺うよう、パルスィは横目で智明に視線を流し。
 そういえば、と前置き、改めて智明に向き直った。

「アンタさっき、「高校の頃はよく覚えてる」って言っていたけど、具体的にはどこまで覚えてるの?」
「どこまで、ですか?」

パルスィが明らかに話題をズラした瞬間だったと思う。
しかしこの時、智明はわざわざ指摘して陰気極まりない話題の主軸を戻すことも、彼女の思惑に反発することも、その時は選ばなかった。

むしろ、このまま沈黙を保ったまま向き合うことがどことなく無礼であるとさえ思った智明は、パルスィの思惑を、質疑に答えるという形で受け入れながら、思い出せる限りの記憶を探っていった。

夕闇の教室の中、何人かの友人と共に部活動に興じていること。そしてその内容と目的までも、固有名詞をできるだけ省きながら、けれど至極微細に到るまでパルスィに語った。


「推理小説研究会。それが、私が部長を務めていた部活の名前でした」


所々、パルスィの理解できない単語についての説明を挟みながらも、気がつけば立て板に水を流すように。当時一喜一憂したこと、部費で購入した一冊の小説を仲間たち全員で考察し読みふけったこと、そのとき感じたうれしさや憤り。その全てを、智明は話し尽くしていた。

相槌を打ち、しかし要所要所に辛辣な突っ込みを入れながらも、今までとは一転、真剣に耳を傾けてくれるパルスィに応えられるよう、慣れない皮肉や、木っ端のような冗句までもを混ぜながら、自分でも理由がわからないくらいに必死に、口を開きつづけなければならない義務感に突き動かされていた。



 そうして話終えるまでに、どれぐらいの時間を掛けたのかはわからない。
ただ囲炉裏の火が随分と大人しくなっていることに、智明はそこに至ってようやく気が向いた。



布団の上に座る智明と、その対面、囲炉裏の前で終始給仕に勤しんでいたパルスィ。
すっかり部屋に満ちていた夕餉の匂いが失せ、向き合って座った二人の影を作り出す部屋の明かりが、それに伴ってやや暗色を強めていたが、不思議と部屋の温もりが消えていったことへの不安感はなかった。

むしろ。胎に凝った不安の全てを吐き出しきった今では、理解し難い状況に浮き足立っていた心の波が消え、清清しいまでの清涼感を獲得していたほどだった。


「アンタも本が好きなのね」

 
外聞を閉じ、夢中で昔語りに没頭していた気恥ずかしさと、自分語りに付き合ってもらった申し訳なさから顔を赤くした智明を尻目に、誰にとも無くそう呟いたパルスィは、どことなくうれしそうに見えた。





今にして思えば、あの時、唯一智明が語ることのできる話題を取り上げることで、こちらの心労と現状への不安を思い切り吐露させる目的がパルスィにはあったのかもしれない。

それまで一方的に話し掛けられ、戸惑うばかりの萎縮した気持ちが、あの料理と、暴言と、隠しとおせないまでの配慮の心によって、随分救われた。

体を少し動かすだけで、体の芯まで痺れてしまいそうな傷口だけは相変わらずそこにあり、失った記憶の行き先も、己の進む道も、未だ混沌に包まれていることに変わりは無い。
それでももう少しだけ。歯を食いしばってでも耐えようと、そう思えた。


――受けた恩は必ず返す。


しかし決意をした傍から。加速度的に瞼が重くなり、視界と思考がボヤけていくのを智明はどこか他人事のように傍観していた。
恐らくは、ようやく落ち着いた体と心が、深い眠りを欲しがっているのだろう。

「まずい、かな」

恐らく、たった一組しかないであろう布団を、こうして占領してしまうことを謝罪し、ついでその後の進退についてもパルスィに問う予定だったのだが。
どうやらそれまで理性が持ちそうにない。

まどろみと理性の間を、ゆらゆら揺れながら、眠りに落ちていく感覚が、亡霊のように智明に付きまとう。


・・・・・・。
・・・・・・・・・。


そして、その音が聞こえたのは、恐らく意識が眠りに誘われる寸前のことだったように思えた。

――なんだろう・・・・・・?

それは甲高く、か細い。心の奥底から怖気を誘うような「猫の声」だった。

――猫は嫌いだ。

あいつ等は、人の好意を弄ぶのが、うますぎる。

どこか不吉な。しかして好感を抱く甘い囁きに誘われるように、智明の意識はそこでプツリと途切れた。





地底の夜は、閉鎖された空間にありながら、完全な漆黒に落ちることはほとんどない。

日が高い時分では感じられない、地の底から響くような怨嗟の轟きに体を漂わせながら、パルスィは仕事の際、いつも座っている橋の袂に腰を落ち着けていた。
傍らには既に洗い終えた二膳分の食器と黒金の鍋が置かれ、彼女の滞在が本来の目的から外れていることを暗示している。

彼女の目の先。限りなく遠い地平には、旧都に居ならぶ商店と出店の提灯がゆらゆらと楽しげに揺れているのが見て取れた。昼が人間の時間だとすれば、夜は妖怪と亡霊の時間なのだ、とでも言うのだろうか。旧都に群れる人外のバケモノどもは、揃いも揃って摂取した酒気を燃やし尽くす気概をもって蠢いていた。
暴虐極まる祭囃子の音こそ聞こえはしなかったが、遠目にあってなお揺らぐその熱気は、今後を憂い、頭を冷やしにやってきたパルスィにとって邪魔以外のなにものでもない。
知らず眉間に皺を寄るのを意識しながら、しかし勤めて気にしないよう。パルスィはゆっくりと瞼を閉じる。

人の形をするもの、畜生の姿をとるもの、奇怪極まる謎の生物に火の玉、果ては無機物までもが乱舞する地底の夜は長い。
その副産物として、夜半の外出であっても灯りが必要ないため、日々燃料のやりくりに苦労する側にとっては有用だが、乱痴気騒ぎに乗じて火の粉がここにまで届びかねない危惧を思えば閉口したくもなる。

特に今は人間――傷口の痛みに疲れながらようやく安眠を経た智明が療養中である。
他者の無意識にまで介入する自我の強い妖怪や亡霊が発する霊障が、無力な人間にどれほど害を与えるのかを思えば気が気ではない。
そういう意味では、パルスィのような人の精神に介入する力を持つ存在も、本来ならば断固近寄るべきではないが、例外という状況などいくらでも起こりうる。

それは例えば、

「「猫にまたたび、お女郎に小判」って言うけれど。アンタの場合は死肉かしら?
それとも下世話?」

声を掛けた先、小屋に備わるたった一つの窓がある一角から、影がそのまま実体になったかのような、大きな黒い猫が歩み出てきた。首元には、真っ赤なリボンが一つ、あしらわれている。

ただの猫にしては、そのノシノシと悠然と歩く姿はどこか不遜で。口ひげを歪め、こちらを子馬鹿にするように一声、愛らしく鳴いてみせる。その作られた愛嬌には、幾ばくかの知性が同居していることを伺わせた。

甘えるように、こちらの足に近寄ってきたソレを、なんの躊躇いもなく蹴り飛ばしたパルスィは、吹き飛びながら体制を整え、いつのまにか人の姿となった少女に向けて、二の句を継いだ。

「死肉あさりにでも来たか。クソ猫」

クソ猫。とそう呼ばれた赤い毛髪をお下げに編みこんだ少女は、黒い獣の耳と、人の耳との計4つをピコピコと動かしながら、慇懃な態度で頭を掻いて見せた。

「いやだねぇおねえさん。 そりゃあ早とちりってもんだよ」

うねり。二股に分かれた黒色の尾と思しき物体を足の間に挟みながら、少女――火焔猫燐は、パルスィの蹴られた腰のあたりをなで上げた。

「本当、乱暴だねぇ。
そりゃあ確かに。若い男の活気ある血液が滴る、そりゃもうい~い臭いはしてきたよ?」

いつから家の周りをうろついていたのかを聞きたくなったが、パルスィは黙っていた。

「でも残念だけど。今回アタイが頼まれたのは簡単な言付けだけ。もちろん「危害も諍いもなしよ」、って、さとり様には釘を指されてるんだから」

さとり。この名を聞いて、パルスィの中で漠然としていた様々な予測が、形ある未来に取って代わっていく感触が確かにあった。

「言付け・・・・・・? 地底のお偉方がこぞって、たかだが怪我人一人に何の用?」

その言葉に、待っていましたとばかりに、燐はスカートのポケットから一枚の紙片を抜き出すと、内容を暗記していないのか、子供が国語の教科書を読むような無機質な声色で読み上げはじめた。

「えーと。
『拝啓、水橋様。心裏寥々たる寒冷の季節、如何お過ごしでしょ――』、え? 時節の挨拶なんてどうでもいい? あはは、おねえさん見かけ通りせっかちだね」
 
半目で睨みつけてやると、やれやれと行った表情で紙片を改め直し、

 「簡単にまとめると・・・・・・、『男の怪我がある程度回復し次第、地霊殿へ連れて来て欲しい』ってことになるんじゃないかな。あとそうそう、『望むなら治療代と、「物品の配送料」を支給する』、『弱った人間を連れて旧都を通り抜けることを危惧するなら護衛を用意する』、なんてことも書いてあるよ」
 「はん。アンタんとこのペットが起こした、あの未曾有の事件を知っている私に、それを信用しろっていうの?」

 題目こそ、地底で名のある妖怪から送られた、意図不明の督促状にほからない。いつものパルスィならば、たかだか人間一匹を送り届けるだけで報酬が貰える、ボロい仕事にしか思わなかっただろう。
 しかしパルスィは、智明という人間に隠された――恐らくは当人でさえ忘れているであろう――誰かしらの介入があるように思えてならなかった。
恐らく、この手紙の奥には地霊殿の主より先に存在するある人物の影が存在する。そのことに薄々と感づいていた。

――八雲紫。

幻想郷において、賢者と謳われる彼の妖怪。
娯楽で外界から人を招き、神隠しと称しては人の一生で退屈を癒す。
そんな風評が立つほどに不気味な存在である彼奴は、かつて暴虐と汚わいの代名詞であった我々を地底に追いやり、鬼との交渉によって外界と地価を区分し、隔離した元凶ともされている。

――自身が招いた人間への無体を、我々に知られたのを恐れている、ということかしら?

どちらにしても、嫌だと突っぱねてどうにかなる問題ではなさそうだった。

「もう一度質問するわ、クソ猫。
望めば私くらい簡単にひき肉にできるアンタ達が、あの死にかけに何の用があるっていうの?」

それは自虐ではない、純粋たる事実だ。単純な力比べにおいても、知能戦においても、頭数にすら、パルスィでは適わない。
笑いたければ笑うといい。

しかし意外にも、そのことについて燐は特段面白がるわけでもなく、質問に答えようとしているのか、頭をコツコツと叩きつつ、何か考えている風であった。そして、オズオズと口を開き、

「う~ん、アタイもそのあたりのことは教えられてないんだよねぇ。でも、さとり様は確かこう言ってたんだ。『大きな河も一滴の水からはじまる』って。意味は教えてもらえなかったんだけど、おねえさんならわかるかな?」
「・・・・・・さぁ?」

「これはアタイからの忠告だけど。今回ばっかりはさとり様にたてつかないほうが良いと思うよ? おねえさん、どうやらあの男が気に入っちゃったみたいだけど、悪いことは言わないからさ、受け渡しに協力してほしいなぁ」

「気に入る? 頭の小ささに比例して脳みそも小さなのね。――家の前に生ゴミが流れてきたから、腐る前に拾い上げたまでのことよ」

生ゴミに触れたくないからと言って放置すれば、見守るべき湖が汚れ、虫が湧き、食人を好むバカどもがこぞってこの地やってくることになったのだろう。
それを未然に防ぐことが、なぜ男への好意に繋がるというのか。

その言葉をどう受け取ったのか、燐はうれしそうに一つ笑い。

「情が移っていないなら何よりだねぇ。悶着なしに片付けばお互い万万歳じゃないかい。それに人間の方もちゃんと「丁寧に扱う」ってさとり様も言ってたしね。
それじゃあ何時頃迎えを来させようか?」
「すぐには無理よ。体調はそれほど崩していないけど、傷口から感染症を起こさない保証はないし、そもそも歩けるほど体力も回復してないから――」

己の事情との相談と、少し調べ物をする時間も欲しい。

「四日後にするわ。私が送り届けるから護衛は用意しなくて構わない。誤差は最大で前後二日。期日を越えたら後はそっちの好きにして構わないから」
「わわ。ちょっと早い早い」

元より覚えるつもりがないのか、パルスィの言葉をきっちり手記に認め。それが終わる頃になると、燐の体は既に人の形を失っていた。
ちりん、と。首元に下がった鈴を音を立てた。

「護衛はいらないって、そんな信用ない?アタイ達」
「ないわ」

「あはは。そう言うと思ったけどねぇ。
誠意のなさは「お互い様」だよぅ。おねえさん」

黙れ。

「お二人さんの会話をさ、結構前から聞いていたよ。そしたらおねえさん、面白いこと言ったよね?
『神経系に異常があって生体信号が行き詰まってるわけでもなそう』って。医学知識もなく、それを判別する装置すらないのに、それなことがどうしてわかるんだろうねぇ?
あとはそう、外的要因で頭部に損傷を負った場合、命の危険があることについての話もしなかった。嘔吐さえしなければ脳機能が正常だなんて、大雑把にもほどがあるじゃないかい?
それにさ。一番気になっていたこと、おねえさんあえて聞かなかったよね」

数百年を生き、人の怨念と肉を貪って生きてきた妖怪の発する、自覚のない悪意の固まり。それがパルスィに剛、と吹き付けてくるようであった。


「――「君、嘘をついていないかい?」ってさぁ」


「失せろ!」

言い終わるや否や、パルスィの報復を恐れたのか、体毛と同色の影に滲むように、忽然と燐は姿をくらませていた。

残ったのは、相変わらず視界の端で愉快に蠢く同属どもの祭りの灯火。甘い鈍色の風。静寂。暗闇。

そして、

「・・・・・・」

考えるべきことが山ほどある。
耳を澄ますと、かすかに聞こえる。この一件に恐らく最も重要な要素を持つ青年の吐息。心なし生命の息吹が戻ってきたように感じられた。

看病の真似事も、今夜はこれ以上必要ないだろう。
そう見切りをつけたパルスィは、今日日三度目、橋に腰を下ろし、重厚な闇を形作る鍾乳洞の天井を仰ぎ、そしてその先、大穴から覗く星々の寂光に目を据えた。

――『大きな河も一滴の水からはじまる』、か。

一滴の水。あの青年が形作る『大きな河』。

それは果して、どこからどこへと流れ行くのだろうか。

あの日、私が私でなくなったあの時のようにはならないでほしいなぁ。


もしも叶う願いならば。
どうか、その水が冷え切っていませんように。



 
 ◆





というわけでプロローグの三倍近い文章量でありながら、第一章(前編)をお送りいたしました。


ようやく目覚めた主人公「智明」と、それに思うところのあるパルスィのやり取りが中心です。

果して智明が地底に落ちてきた来た理由はなにか。パルスィがなぜ智明に世話をやくのか、今回の物語を読みながら考えてもらえればうれしいですね。


穏やかに会話をしながらも、決して「ある一線を越えない」、現時点での薄っぺらい関係が見え隠れしています。


そうそう。今回、かなり場面が前後する箇所がいくつかあって、それがすごく読みにくくなっていると思います、申し訳ありません。え? それ以前に文章が下手? うんうん! うんうん・・・・・・。 

誤字脱字の多さも、もはや平謝りするレベル。



次回は、地底の華。さとり様を中心とした智明やパルスィを巡る人間関係の変化を書いていくつもりですので以後よろしくお付き合いください。




読了お疲れ様でした。
スポンサーサイト
*
○2011/03/27○
血が溢れているモノからカサブタでガチガチになったモノまで、人の心ってのには無数に傷がある
願わくば全ての傷に微笑みを向けられる時が来ますように

何の言葉だったかは忘れたがこんな感じのフレーズが浮かんだ

主人公の境遇にヤンデレと監禁という言葉しか思い浮かばん
[ 編集 ]
○2011/03/27○
> 血が溢れているモノからカサブタでガチガチになったモノまで、人の心ってのには無数に傷がある
> 願わくば全ての傷に微笑みを向けられる時が来ますように
> 何の言葉だったかは忘れたがこんな感じのフレーズが浮かんだ

なかなか言い当てられていますなぁ。この物語のコンセプトが「今という「命」への慈しみ」みたいなものですからね。
今後、パルスィの負う傷と、智明の負う傷、両方にキチンと言及していきますんで以後よろしく。

作中ではなかなか和やかに会話が進んでいますが、お互いいえない一線を持っていて、それをどうゆう過程でぶち破っていくのか、またぶち破るための燃料(愛情ないし友情)についても描けていければいいなぁ。

私が常々雑感で語る、バックボーンの厚み、という奴も今後頑張って盛っていく一方、黒幕と思しき輩どもにもそろそろご登場願いたい次第。


> 主人公の境遇にヤンデレと監禁という言葉しか思い浮かばん

失敬な!ちゃぁーんと足の傷が治ったら外に出してあげますよぅ!
ま、直ったら最後、地霊殿のこわい人たちに連れていかれちゃうんですけどねぇ・・・・・・。
[ 編集 ]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL


twitter
ブログに対する掲示板の役割を兼ねておりますので、出来うる限りこちらにも目を通していただけるとありがたいです。

フォローしてくださるお方は「esplia」と検索して頂くと簡単に見つけられると思います。


espliaの生態


esplia

Author:esplia


【読書中小説】
神様のいない日曜日
幕末魔法士
KAGUYA~月の兎の銀の箱舟~
文学少女と死にたがりの道化
中の下!
曲矢さんのエア彼氏


【プレイ中(&予定)ゲーム】
黄昏のシンセミア
elona
グリザイアの果実
はつゆきさくら【済】
穢翼のユースティア【済】


【鑑賞中音楽】
嘆きの音
Dead End
borderland
少年よ我にかえれ
ノルエル
灰色の水曜日


【オススメゲーム】
FLYABLE HEART
永遠のアセリア(なるかな含)
遥かに仰ぎ、麗しの
装甲悪鬼村正
Fate stay night(hollow含)
てのひらを、たいように
月光のカルネヴァーレ
君の名残は静かに揺れて
BALDRシリーズ(戯画)
ひぐらしのなく頃にシリーズ
うみねこのなく頃にシリーズ
東方シリーズ(SLG、文、WS含)
夜明け前より瑠璃色な
CROSS†CHANNEL
リトルバスターズ!
CLANNAD
STEINS;GATE


恒久的に不定期更新ですが、
よろしくお願いします。

週一更新005


当ブログはリンクフリーです。
こちらから打診した場合は了承があるまでリンクには追加いたしません。

ブログ内検索
ブロとも申請フォーム
メールフォーム
相互リンクの申請は、
「ブロとも申請フォーム」
または、
ここにお願いします。

名前:
メール:
件名:
本文:



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。